旅の日記


広島〜道後 (03年3月23日〜31日)

・一日目 (28日)

一日目は宮島の厳島神社や、原爆ドーム、資料館などへ。
最初に訪れた宮島で出迎えてくれたのは鹿。
しかも此処の鹿達は触らせてくれるのです。
奈良公園の鹿は餌を持ってないとなかなか寄って来なかったのに。
どっかのガイドさんに「お手」までしてるのには驚きでした。
鹿も良いですが、厳島神社といえばやはり海に浮かぶ大鳥居です。
ちょうど潮が引いていて鳥居まで歩いていくことも出来ました。
そしてそこにもやはり鹿。
満ちてきたら階段を使って上るのでしょうか?
宝物館にも入ったのですが、厳島神社は平家と繋がりが深いというのに置いてある刀は江戸物、しかもたった三本。(泣)
厳島神社は世界遺産だけあって外人さんも多く、宝物館の受付の人も英語の勉強をしていた様子。
昼食は特産の宮島牡蠣。
焼き牡蠣、牡蠣丼、牡蠣うどんなど牡蠣ばかり。
店によって値段も結構違うようでした。

宮島の次は広島の原爆ドームと資料館へ。
此処も世界遺産なので外人さんが多かったのですが、意外なことに宮島よりずっと多い。
初めて見たけれど凄まじいですね。
鉄の階段が捻じ曲がってる。
資料館の中は思っていたよりも死者や重傷者の悲惨な写真が少なくて安心しました。
ですがそれでも原爆の恐ろしさを伝えるには十分であったと思えます。
そういえば資料館には様々な言語が飛び交ってました。
日本語、英語、中国語、朝鮮語、フランス語と思われる言語など、色々な国の人が観光に来ています。
それにしても朝鮮語のガイドは五月蝿かった。

その後、新幹線で広島から岡山まで戻り、マリンライナーに乗って高松に単身赴任している父の家へ。
父に連れられ、懐石料理というものを生まれて初めて食べました。
布団が足りないという問題がありましたが、私は早々に自分の布団をゲットしていたので特に問題なく。
広島駅で買った「魔術師オーフェンはぐれ旅 我が聖域に開け扉(上)」を読んでから寝ました。

 

・二日目 (29日)

8時ごろに出発して、車で目的地の道後へ。
もちろん途中にあちこち見て廻りました。

山ばかりの田舎道を通ってまずは大歩危小歩危へ。
向かう途中、父が怖い橋があると言い車を止めて渡ってみることに。
それは人が通るための鉄製の橋。
何故あんな所にあるのか良く分からない橋ですが、結構高い上に下の川の流れは激しく、岩だらけ。
ですが何より問題なのは、
中央部下の鉄板が網状で下が丸見えって事です。
両脇は普通の鉄板なのですが、なぜか真中だけがそうなっています。
家族は真中のほうが怖いと言っていたけれど、私は手摺を持って端を渡るほうが恐ろしかったです。
だって風で揺れているのが直接伝わってくるのですから。
だから私は真中を歩いてました。

その橋から少し進んだところで大歩危峡観光遊覧船なるものに乗りました。
周りの岩が皆、斜めに層が走っていることの説明やらを受けながらゆったりと。

大歩危小歩危を過ぎて次はかずら橋へ。
橋一本渡るのに500円という値段を付けるのにも納得いかなかったが、もっと納得のいかないことが。

誰だあんな橋造れって言った奴!
怖すぎるわ!!
落ちるって可能性は少ないでしょうがあれは怖いです。
片足滑らせたら痛いですよ、あれ。
もし揺らしている子供がいたら、危険ですので速やかに突き落としてください。

渡りきった後、すぐ近くの店に入り昼食。
かずら橋の見える窓際の席で、恐怖で四苦八苦しながら橋を渡る人々を横目で見ながらこの地方独特の(正月で食べるには不吉すぎる)祖谷そばを食べてました。(麺がものすごく短い)
ちょっと優越感。

このまま道後へ行くには少し戻らなければならないのでその途中、行きには寄らなかった「ラピス大歩危」という石の博物館へ。
客が居ないのと、6月の誕生石だけが載ってないのが印象的でした。

道後に着いてまずは予約していたホテルへ直行。
ホテルの前で矢絣のお姉さんが待機していました。
中に入ると二人の矢絣(やがすり)のお姉さんがご挨拶。
袴はともに紫ですが、上は赤い模様、黄緑の模様と2種類の方が居ました。
衝撃!
ビバ、坊ちゃん!!
ビバ、夏目漱石!!!
そんなことを考えつつ、荷物を置いて、徒歩5分程度の道後温泉本館へ。
本館はまるで「千と千尋の神隠し」の湯屋のよう。
ちょうど暗くなり始めた時間だったので、いい具合に灯りが燈っていました。
とりあえず夕食の時間が迫っていたので、一番安い「神の湯」へ。
何だか普通の銭湯みたいな感じがしました。
そして風呂上りは当然、コーヒー牛乳
いつも牛乳かコーヒー牛乳か悩むのですが、今回はコーヒー牛乳
もちろん片手は腰に当てながら一気飲み。

夕食後、ロビーで太鼓の催し物が開かれていたのでそれを見学。
太鼓の後は売店で土産を買ってから部屋へ戻り、ホテル内のお風呂へ。
露天風呂もあり、此処でも極楽気分。
こうして一日が過ぎ、清潔な布団でゆっくり寝ようと布団にもぐり込みました。

夢でも見るはずが、まさかあんな恐ろしい出来事が待っていようとは・・・・・

 

・三日目 (30日)

深夜零時、30日になりそろそろ寝ようとしたときにそれは起こった。
・・・・・・・・・・痛い。
そう、急にお腹が痛み始めたのだ。
かといってトイレに行きたいような痛みではない。
仕方が無いのでそのままで寝ようとした。
しかし眠れない。
痛みは引くことは無く、常に私を苛み続けた。
眠るために思考を全てカットしても、なかなか寝付くことは出来ず、結局数回の浅い眠りだけで熟睡することはなかった・・・・・

こんな感じに苦しんでました。
この後、収まったからと言って朝風呂(自殺行為)入って上がったら、吐き気と眩暈で気が遠くなったり再び腹痛がしたりともう大変。
朝食も少なめにしか取りませんでした。
ホテルをチェックアウトしてから、根性で伊佐爾波(いさにわ)神社と道後駅に行って写真撮りました。

次に何処へ向かうかと思えば松山城。
吐き気と腹痛が微妙に収まらないまま、リフトに乗ってからちょっとした坂道を歩く。
途中でお抹茶を頂き一息入れてまた歩く。
もしかして結構我慢強い?

お昼はどこぞのサービスエリアで。
私が注文したのはたらこスパ。
なぜか真中にイカが乗ってる奴。

その後はどっかの銅山へ。
私はギブアップで車の中でお留守番。
寝てました。

ようやく父の家に戻ってきたところでやっぱり寝ました。
お布団の中でゆっくりと寝ているところを母の一言に起されました。
「お寿司食べに行くけど、あんたの分も買ってくるね。」
「いや、行く。」
そんなわけで近所の回転寿司へ。
この辺りは海が近いからでしょうか。
安い上にネタが大きいです。
しかも上手し。
だけど腹痛で少ししか食べられない。(涙)
嗚呼、可愛そうな私。
失意の中、寝ました。

 

・四日目 (31日)

帰還の日です。
バスに乗って難波まで行き、そこから近鉄に乗って帰りました。

今回の旅で学んだ事、
旅の御供に胃腸薬を。

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