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「あー、また見てる」 |
奥 津 城(おくつき)
| 父が経営する鋳物工場は、従業員が七人だけの小規模な町工場だった。社長は工場長のことで、社長室の本皮張りのリクライニングチェアーにふんぞりかえっていられるような身分ではなく、それどころか、古参の技術者に指導されながら率先して汗水たらし働く人だった。 従業員は家族ぐるみのつきあいだった。毎年夏に行われる川べりのキャンプは、従業員七人の会社にしては大所帯のイベントになっていた。それぞれの家族が参加し、祖父や祖母、はたまた従兄弟まで、多いときには五〇人ちかくになったこともある。不況の波は例外なく父の工場にも押し寄せていたが、毎夏のキャンプだけは必ず出掛けていた。その年までは。 高校受験を言い訳に、私がキャンプに参加しなくなって二年になっていた。思春期の娘にはよくあることだが、私は父を毛嫌いし、反抗するほどではないにしろ、意味もなく距離をおくようになっていた。今となっては本当に不思議だ。あの感情はどこからくるものなのだろう。理由らしき理由はない。ただただ嫌でしょうがない。父の一挙一動に難癖をつけ、そんな自分に舌打ちし、自己嫌悪から逃げるように今度は父を避けるようになる。そんな日々だった。 キャンプは私にとっても毎年心待ちにしていた行事だった。工場の人たちは私を赤ん坊の頃から可愛がってくれていた者がほとんどで、それは今でもかわらない。そしてその家族たちもまた私の家族同様だった。そうしょっちゅう顔を合わすことのない家族はうるさいことを言わないので好きだ。久しぶりに会いたい。だが、その寂寥よりも自分の家族に対する反感のほうが大きく、私は一人、家で留守番をしていた。理不尽にふてくされながら。 家にいながら縁側に寝転がり目を閉じる。ライン下りができる、河とも云えそうな清流のほとりにあるキャンプ場がまざまざと思いだされる。 整備されているのはバンガローのあるわずかな一画だけで、山のほとんどは手つかずの原生林だった。流れ星を見たあと、朝もやの中を散歩していて鹿に出会ったこともある。大鹿は私の姿を見とめても、毅然とこちらを見つめ、くい、と鼻先を一度あげると、さっと身を翻してもやの中に消えていった。幻かと疑うほど、それは美しい光景だった。 キャンプ場は川のほとりにある十数棟のバンガローと中央の調理場だけのこざっぱりした造りだった。だから父の工場のメンバーだけで貸切りになり、知った者だけなので遠慮なくはめをはずして騒げた。まわりは川と原生林。うるさい、と怒鳴りこんでくる早寝の隣人などいなかった。 樋野さんは父がとても信頼している従業員の一人だった。よく父とつれだって、真っ赤な顔で酔っ払ってうちに帰ってきた。二人とも高いびきで客間に寝転がり、蹴飛ばしても起きやしない。仕方なく客用のふとんをかけてやる。夜が明けて私が母を手伝って朝食の用意をしていると、酒は抜けているのに、酔っていたゆうべよりさらに顔を赤くして頭をかき、迷惑をかけたことを詫びながら台所に顔を出してくる。それは毎度のことで、私はそんな二人がおかしくて、好きだった。でもそれも小学生までだった。 中学に入ると父のそんなだらしなさが鼻につくようになり、唯一、緩和剤になっていた樋野さんも結婚が決まって所帯を持つと、待つ人の家へ帰っていったので、客間に寝転ることはなくなった。父が一人で酔いつぶれて、ヒキガエルをふんづけたようないびきをかいている図はとても醜悪に見え、私はしぜんと父から遠ざかった。仕方ない。そういう年頃だ。 そんなわけで、私は樋野さんのことは嫌ってなかったが、父とはふんだんに距離をおくようになったいた。この年のキャンプにも行っていない。だからなにが起こったかは全部聞いた話である。テレビと、週刊誌から。 子供たちが夏休みに入ってすぐに台風12号が日本本土を直撃した。空梅雨のこの年、全国規模で給水制限が施されていた夏最初の朗報だった。だからかもしれない。人々はこれを恵みの雨と受け取り、豊富すぎる水の危険性を失念していた。 キャンプは台風一過の翌日、例年通り行われた。 通常なら当然警戒する日程である。台風が撒き散らした雨量は二〇〇ミリを超えていた。暴風雨で吹き飛ばされた森の枝葉が道中の森を猥雑に見苦しく飾り立てていた。それでも父たちには気にならなかった。透けるような青空だけを見上げていた。 ようやく眉をひそめたのはキャンプ場についてからである。 バンガローは無傷だった。もとより、台風12号は規模はさほど大きいものではなく、風よりも雨がメインだった。だから恵みの台風だと皆が浮かれだった。鋳物工場でも水はかかせない。気持ちは高揚した。しかし場所によっては多すぎる雨が災害になることもある。それを誰も考えてなかった。 川は激流になっていた。あの美しい清流が泥を含んで茶色く濁り、折れた大木がささくれだった幹をこちらに向けて、あっという間に流されていった。 父たちは声もなく顔を見合わせた。こんな荒くれだった川を見るのは初めてだった。水かさも増えている。バンガローまでは距離があり、水没する懸念はまずないが、川に近づかないほうがいいことくらいは素人目にも明らかだった。キャンプは中止するか? 話し合いは五分で終わった。メンバーは荷物をバンガローに運び入れた。 確かに川は危険だが入らなければいい。天気予報も一週間は晴天が続くといっている。しかも毎年かかしたことのない行事だ。台風が雨をもたらしたことで水は潤い鋳物工場もフル活動できるようになる。これまでの巻き直しをはかって忙しくなる。キャンプは延期できない。そもそも、バンガローの予約のとりなおしだって困難だろう。夏休みは誰もがキャンプをしたくなる。この日だって年中行事になっているからこそ早めに確保できているのだ。 続行を決めると皆の懸念は薄らいだ。慣れた場所であることと、気心が知れた一群であること、なにより、些細なことなど、ぱっと散り飛んでしまいそうな青空が延々と広がっていた。キャンプは始った。 一日目は何事もなく終わった。遠出の疲れで誰もがぐっすりと眠れた。そして翌日も文句なしの快晴。だが、川の流れは格段落ち着いたものの、まだ危険度は高かった。 当時、中学生になったばかりの弟は、この年キャンプに参加した子供たちの中では最年長だった。それが災いしたのかもしれない。 ほかの子供たちはまだ、父親の威光と母親の庇護を欲した年齢だったので、川に近寄ってはいけない、という戒めを素直に聞き入れていた。しかし、弟は違った。日頃、反抗期の姉を目の当たりにしているためか、素直に大人の忠告に従わなくなっていた。母親のスカートの裾を引っ張っている年下の子供たちにいい顔をみせたかったのだろう、彼は川に入った。 向こう岸まで泳いで戻ってくる。そう言い放って川に身を躍らせた十三歳の少年の体は、あっという間に濁流に持っていかれた。機敏な動きを見せたのは岸にいた子供たちのほうだった。キャンプ場に取って返し助けを求めた。一番近くにいたのが樋野さんである。彼は迷わずに弟を救出すべく川に飛び込んでくれた。 弟は必死に水を掻いていたが、それは虚しい努力だった。弟がひと掻きする間に体は五メートル流されていた。樋野さんが弟に追いついたのは奇跡としかいいようがない。彼は弟を激流の中で捕まえた。だが、パニックになっていた弟は彼に必要以上にしがみつき、コントロールを失わせてしまった。樋野さんは弟を抱えたまま中洲の岩に背中を激突させた。後に下流で彼の遺体が発見されるが、全身の骨が砕けていたのは川底の岩によるものなのか、このときの激突によるものなのか判断つかなかった。どちらにしても、樋野さんは弟を岩の上に押し上げ、自分は力尽きて、沈んだ。それが最期だった。 樋野さんの通夜には私も出席した。悲痛だった。 奥さんは加也乃さんという。キャンプにも来ていた。だから、川下で樋野さんの遺体の確認をした最初の身内だった。棺の蓋はぴっちりと閉じられ、本来、最後の別れをするための顔の小窓も大きな銀糸の布がかけられて開けられなくなっていた。遺体がどんなに凄惨でも、遺影の樋野さんはにこやかに笑っていた。 樋野さんの両親はずっと目を伏せたまま口も重かった。誰もがその理由を知っていた。だから、お悔やみの言葉はどれもありきたりな例文だった。余計な慰めが彼らを一層悲壮にする。皆はひっそりと息をころしていた。 通夜は三〇分の住職の読経で終わった。だが、同じ職場の面々はなんら会話がないまでも去りがたいようで、ちぢこまるように背中を丸めて樋野家の庭先に佇んでいた。梅雨が明けて間もない夏ははじまったばかりで、喪服は汗を吸って体に張りついていた。 弟が姿を現したのは、かなり夜が更けてからだった。みんなうつむき加減に顔をそむけていたので、加也乃さんの叫びが家中に響くまで気づかなかった。 加也乃さんは足袋のまま部屋から飛び出し、玄関に棒立ちになっている弟に噛みつかんばかりに向かっていった。すんでのところで、そばにいた弔問客に抑えられたが、彼女の怒りは抑えようがないようで、加也乃さんは手足をばたつかせて泣き崩れた。 「どうして? どうして、あんなひどいことするの?」 弟は答えられない。真っ白な顔で唇を噛みしめながら立ち尽くしていた。 「どうして川にはいったの! どうして、あの人が死ななきゃいけないの!」 加也乃さんは抱えられて奥の部屋へつれていかれた。それでも声だけは家中に響いた。 「どうしてあの人があんたのせいで死ぬのよ!」 三人がかりで暴れる加也乃さんを押さえつけたので、彼女の喪服は着崩れし、まとめ髪もほどけて哀れなありさまだった。だが、誰も笑えなかった。 残された弟に掛ける言葉が見つからない。そばにいた一人が身動きできなくなっていた弟の肩をそっと抱き、祭壇の前へ誘導した。弟はされるがままにぎくしゃくと歩をすすめ、時間をかけてようやく樋野さんの棺に焼香した。横に座っている樋野さんの両親に深々と頭をさげる。土下座しているようだった。 樋野さんのお母さんは涙ぐんで顔を両手にうずめた。樋野さんのお父さんは目を伏せたままを頭を横に振った。それは、あなたのせいではない、と赦しているのか、おまえの顔など見たくもない、と拒絶なのか。二人はひとことも弟に声を掛けなかった。 促す者がいなければ弟はそのまま石になっていたかもしれない。両脇を抱えられてようやく頭をあげた。樋野さんの両親は奥に下がって姿を消していた。 弟は抱き起こされた体をまた崩し落とした。喉を詰まらせて咽び泣いた。そばにいた者たちは、そんな弟を憐れんで、背中を、頭を、やさしくさすってやっていた。だが、無言だった。 翌日、葬儀の最中に加也乃さんが倒れ、介抱した女性から彼女が妊娠していることを知らされた。 弟はなにも言わなかった。 私たちも目を伏せるだけしかできなかった。 樋野さんの初七日がすぎ、加也乃さんが実家に戻って流産したことを聞いた次の日、弟は庭の桜の木で首を吊った。 水曜日は気分が重くなる。いつものことだが、今日はより一層はげしい倦怠感に襲われていた。 ゆうべ、あんな夢を見たからだ。なぜ今頃また弟のことを思い出したのだろう。 月に二回、隔週の水曜日にこの病院の産婦人科へ通い出して五年になる。私はそびえる白亜の総合病院を見上げ、踵を返すと家路についた。 二四で結婚して一二年、来年は三七歳になる。子供はまだない。もう夫にも諦めてもらうしかない。産婦人科通いはこの総合病院の前にも有名な個人病院にも通っていた。だが、どこも変わりばえしない。 夫は強く子供を望んでいるわけではなかったが、かすがいがいないことで夫婦間が潤っていないことは確かだ。この数年、二人の会話は目に見えて減っている。もう、はっきりさせたほうがいいだろう。決心した。だから弟の夢を見たのかもしれない。あんな古い記憶。 私は苦笑した。家を出よう。もう夫とはいられない。一二年。私は夫に申し訳ないことをした。 夕食のあと、私は夫に切り出した。 「今日、病院に行ってきたの」 はじまりはそんなセリフからだった。 夫はちらりと私の顔を見ただけで、また視線を新聞に戻した。通院は月に二回のいつものことだ。驚くにたらない。夫の無表情はそう語っていた。 私は続けた。「先生に言われた」 夫は新聞をたたんだ。先生という名詞が気になったのだろう、今度はまじめに聞く気になったようで、じっと私を見つめかえしてきた。反対に、私は夫の顔から目をそらす。後ろめたい。でも言わなければ。はっきりさせなくては。 「子供は、もう無理だろうって……」 夫は私を見ていた。そして、おもむろに立ち上がると居間を出て行った。 話は終わっていないのに。私は息を吐いた。でも、夫が席を立っても私は追いかけなかった。むしろ、安堵した。階段を上がる足音がする。書斎へ入ったのだろう。二階の奥部屋。子供が部屋を持ちたくなったら使わそうと用意していた部屋。そんな日はこない。これからもずっと書斎のままだ。私があなたの妻である限り。私がこの家を出て行かない限り。 翌朝、なんの会話もないままに私は夫を会社に送り出した。がらんとした家の中が空々しい。私は家を出る旨の手紙を書き、一枚の薄い紙を同封して台所のテーブルの上に置いた。離婚届。私の自署と捺印がしてある。帰ってきたら、夫が見つけるだろう。 荷物はボストンバッグがひとつ。その中に入るだけの着替えだけを持って出ようと決めてあった。あと、病院から渡されていた薬。これは残して行けない。 火の元の点検と戸締りの確認。お別れだ。一二年ありがとう。そして、ごめんなさい。 鍵を手に、ぐるりと家の中を見回した。出て行くと決心すると、いきなり他人の家のように思えた。 鍵を握りしめる。刹那、電話が鳴り出した。どきりとした。出掛けの電話は大抵よくないことを伝える。しかし、放ってもおけない。私は渋々、受話器をとった。 「青木さんのお宅でしょうか。私、恵養苑の沢渡と申します」 私は、はあ、と間の抜けた返事をした。恵養苑。家を出て、私がいまから訪ねようとしていた所だ。電話は、母が入所している老人ホームからだった。 父は弟が死んだ二年後に庭の物置の中で首を吊った。 弟の葬儀は家族だけの密葬だった。葬儀社も呼ばず、父が組み立てた粗末な棺に弟の亡き骸を横たえた。非人情に思われるかもしれないが、それが弟を守れる方法だと私たちは思っていた。 はじめ、週刊誌が我が家のドアを乱暴に叩いた。そしてテレビ局がつづいた。当時、ほかに世間を騒がす話題がなかったからか、ワイドショウは連日、樋野さんと弟の惨劇を、あたかも見てきたかのように報道し、弟のささくれだった神経を直撃していた。誰もが弟を糾弾していた。 確かにあれは弟の過失が招いた忌まわしい事故だ。だが、あくまで事故なのだ。そう父は弟を慰めたが、弟の心の鬱積は増すばかりだった。そして弟は自分の名前が週刊誌とブラウン管の中から消えないうちに、己がこの世から姿を消した。 だから父はもう弟の姿を世間にさらせないように、ひっそりと彼を送ってやるつもりだった。だが、それさえもマスコミはかぎつけた。父が用意した粗末な棺までもブラウン管に映しだされた。今でなら人権問題がとりあげられて、マスコミのこういった無慈悲な報道こそ糾弾されていただろうが、二〇年も前の話である。一地方都市の出来事に、なんの救済機関もなかった。惨劇、修羅場こそが格好のニュースとなっていた時代だった。樋野さんと弟の死は、まさしくそれだった。 おそらく、これが引き金だった。父の町工場はこれを境に急速に経営が落ち込んだ。まず、仕事にならなかった。新たな注文がこなかった。受けていた注文はキャンセルされた。樋野さんがいなくなったことで六人になっていた従業員は四人になり、日を置かず二人になった。 残ってくれた二人は工場の立ち上げの時から一緒に父と働いてくれていた人で、最後まで父につきあってくれた。父は走り回った。だが、仕事はとれず、工場の機械は動かないまま油だけをさされていた。 世間が弟を忘れ、事件を過去のものにしてようやく工場は再開した。しかしその頃には工場の機械はもう時代の遺物になっており、父は新しい仕事のために機械を入れ替えた。新しい機械は新しい若い技術者を要望した。父とともに残ってくれた二人では扱いきれなかった。父は従業員を増やし、残ってくれた二人のために、もはや儲けにはならない昔ながらの仕事も抱え込んだ。 そして二年後、わかりきっていた破綻がきた。新しく入ってきた仕事は新しく導入した機械に上回る量ではなく、注文はとればとるほど赤字になった。機械をとめて従業員を解雇した。古参の二人は工場最後の日に泣いていた。樋野さんの葬儀でも弟の死にも泣かなかったのに。 父は機械を売り払った。工場も売却した。それでも借金は残った。家の差し押さえの話がきて、父は物置で首を吊った。保険金が家を守った。 だから私は、あの家が嫌いだ。 恵養苑からの電話は母の死を伝えるものだった。眠るように逝った、と看護婦長は言った。 母は家を離れることを厭がったが、介助なしでは床から起き上がれなくなっていた老齢の独り者を放ってはおけない。老人ホームは私が探して入所させた。家は私が見るから、と言っておいたが、私は一度も行っていない。鍵は不動産屋に渡してあった。管理も任してある。最も、管理するほど立派な家じゃない。築三〇年を越す老屋。名義はまだ母のものだが、私は相続するつもりはない。ろくなことがなかった家だ。 母の死に顔は確かに安らかだった。やっと夫と息子の元にいけるという安堵感からだろうか。やせこけて貧弱な体。なのに顔だけは微笑んでいるように幸せそうだった。 火葬の手続きを役所でしている間、看護婦長に母の遺体を預かってもらった。私は葬儀屋に連絡したが、頼んだのは棺の手配と遺体の移送だけだった。 葬儀を行わないことに看護婦長は眉をひそめた。母の遺言だから、と私は言ったが、彼女は納得できないようで詳しい説明を暗に促した。私は気づかないふりをした。弟の死から説明しなくてならない。そんな気にはなれなかった。 棺は翌朝、陽があがらないうちに運び出した。そのまま火葬場に向かう。医師の死亡確認が終わって二四時間を経過しないと火葬は許可されない。まだ門が開かない山中の火葬場の前で私は移送車の運転手と無言で待った。 運転手はまだ若そうな三〇前後の青年だったが、それなりに経験があるのか、この奇妙な出棺に不躾な好奇心は現さなかった。私はほっとする思いで、時間がくるまで目を閉じて車の窓ガラスに凭れかかっていた。 弟の葬儀は悲惨だった。父の時は葬儀に割くお金がなかった。その分も家の保持金にあてた。父が手放したくなかった家。母もまた父の遺志を汲んで守った。 私も葬儀はいらない。母はそう言っていた。家族の誰も満足に送ってやれなかったのに、自分だけのうのうと葬儀をあげてもらおうとは思わない。ただ、父さんと息子の墓に入れればいい。 わかった。とだけ私は答えた。前回、母に会った日。あれは生きた母に最後に会った日で、三年以上前だった。 そう、あれが最後。あの時、母は言ったのだ。 「おまえに子供ができないのは、加也乃さんの報いかねえ」 それ以後、私はホームから何度連絡が入ろうと、母に会おうとはしなかった。 今でも思う。樋野さんは悲劇のヒーローだったが、彼の行為は本当に偉功だったのだろうか。樋野さんは川から弟を助けた。だがそれは救いにはならなかった。樋野さんの死で加也乃さんのお腹の中にあった命が消えた。弟は自殺した。三つの命が失われた。救いは、ない。 私は結婚してすぐにかかった産婦人科で加也乃さんと再会した。八年ぶりだった。加也乃さんは大きなお腹をかかえ、脇に四歳ほどの女の子をつれていた。先に声をかけてきたのは加也乃さんのほうだった。 私は驚きを隠せなかった。加也乃さんに会ったことではない。声をかけられたことにだった。彼女は弟の死を知っていた。父の死を知っていた。そして私に声をかけてきた。久しぶりに会った同窓生を見つけたように。 私の中では、通夜の日に気が狂わんばかりに泣き叫んでいた加也乃さんの印象しか思い出せない。しかし、目の前にいる彼女はどこから見ても、幸せそのものの奥様だった。 一〇月がね、予定日なの。加也乃さんは屈託なく笑って言った。おめでとうございます。わたしはそう答えた。ほかに言いようがない。 私は加也乃さんのマタニティドレスの裾をしっかりと握りしめている女の子を見た。樋野さんには似てない。当然だ。樋野さんの子供じゃないんだから。 大きいでしょう、まだ三歳なんだけどね。この子ができたときは嬉しくって。だってね、もしかしたらもう子供はできないかもしれないって思ってたから。加也乃さんはころころ笑う。それは昔と変わってない。樋野さんは加也乃さんをつれてよくうちに遊びに来ていたから覚えてる。樋野さんは加也乃さんの無邪気な笑い方が好きだと言っていた。 そんな笑顔を見たから素直に訊けたのかもしれない。本来ならこんな失礼な問いはできないものだ。私は目を伏せてぼそりとつぶやいた。 ――それは、流産、したからですか? 加也乃さんの笑い声は途絶えた。私は身を固くした。やはり訊いてはいけないことだったのだ。加也乃さんは怒っただろう。なんて礼儀知らずなんだろうと罵られるのか。 しかし彼女は息を吐いただけだった。私は顔をあげられなかった。言葉も継げない。 「それね」 加也乃さんは沈んだ声で言った。 「そう書いたほうが悲劇性が増すからなんでしょうね。訂正してもらおうかとも思ったんだけど、あの頃は私もあなたたちを……許せなかったから」 私はもっと深く頭を下げた。土下座しているような弟の姿が思い出された。 「でもね、違うの。流産じゃなくて、堕ろしたのよ。だって、子連れじゃ再婚しにくいし」 私は顔を上げられなかった。俯いたまま目を見開いていた。 そう。加也乃さんが流産したと言ったのはワイドショウのリポーターだった。本人には確認していない。そんなことができる身分じゃなかった。そして弟は自殺した。父はその報道週刊誌を破り捨てて焼いた。 火葬場は予約制である。だが、朝一番の時間は希望者が少ないようで、私たちは開門とともに母の棺を釜に入れた。 移送者の運転手は帰っていった。看護婦長のつきそいを断ったので、私は母の骨を拾うまでの二時間を一人で待った。 骨壷に収められた遺骨はまだ熱を持っていて、底はほのかに暖かかった。 待合室から呼んだタクシーが私たちを待っていた。その時間になってようやく別の火葬者が到着し、人の数がにわかに増えた。私はタクシーの運転手に実家の住所を告げた。骨壷とボストンバッグだけを抱えた女が一人で乗り込むのはそう多いことではないだろうが、運転手はなにも訊かずに送り届けてくれた。 三年ぶり、正確には三年五ヶ月ぶりの実家は黴臭かった。空気が澱んでいる。不動産屋は鍵を持っているだけで風通しもしていないようだ。床の上は埃もかなり積もっていた。 胸が悪くなる空気にむせる。私は母の骨壷とバッグをハンカチで埃を払った座敷の卓の上に置き、足の裏を真っ黒にしながら縁側に急いだ。 古い造りの家で、いまだに木枠のガラス戸である。外の雨戸も木製のままだった。 まず、内側からガラス戸を開ける。湿気て膨張した木枠はギシギシいわせながらも遅々として動かず、一枚を開けるのにとてつもない体力を消耗した。肩で息をつぐ私の鼻に、ぷん、と甘い匂いがした。なんだろう。嗅いだことはあるが、なんの匂いだっただろう。 香りともいえる豊饒な匂い。庭から漂っている。私は満身の力をこめて立て付けの悪い雨戸を一気に開いた。 庭は、真っ白だった。白ユリの群生。庭の隅からすみまで、びっしりと咲き誇っていた。 むせかえる芳香。鮮やかすぎる白。私は呆然と立ち尽くした。 白ユリ。死者にたむける花だ。 父は桜の木を切り倒した。 手にマメをつくり、つぶし、丸一日かかって一人で切り倒した。切り株も掘り起こした。車に積んで、捨てに行った。 だから今は後も残っていない。大きな、古い桜の木。弟が首を吊った木。 あの木が残っていれば、父もあそこで首を吊って自殺しただろうか。 母は弟を憎んでいた。家を崩壊させた原因だと言っていた。 どうしてあんなに憎めるのだろう。自分の息子なのに。自分が生んだ息子なのに。 母は父の遺志のみでこの家を守ろうとした。父がなぜこの家にこだわったのかは関係なかった。父が残せと言ったから、残した。たとえ、父の葬儀の代金さえ惜しむとしても。 私は雨戸にもたれかかったまま、ずるずるとその場にへたり込んだ。 縁側に積もった埃に服が汚れたが、そんなことは気にならなかった。 私はいらない。こんな家はいらない。古い崩れ落ちそうな家。白ユリに埋め尽くされた庭。ろくでもない。こんな陰気な家、いらない。 涙がこぼれた。あふれてきた。喉がつぶれそうに痛かった。 「聡子!」 突如、私を呼ぶ声がした。私は驚いて身を振るわせた。夫の声だ。どうしてここに? どたどたと乱暴な足音が響いた。いつもはこんな歩き方をする人じゃない。なにを慌てているのだろう。私はぼんやりと足音の主を待った。 夫はいくつかの部屋で回り道をし、じきに縁側に座り込んでいる私を見つけた。息があがっていた。それよりも私は夫の格好に驚いた。 「ねえ、あなた。もしかしてお風呂入ってないんじゃない?」 私は夫の顔を見るなり、間の抜けたことを訊いていた。だが、そのときの素直な疑問だったのだ。夫はわりかし神経質で、一度着たシャツなどは二度着ようとはしない。夏場、汗をかいたときは一日何度でも着替える。しかも、アイロンのかかっていないワイシャツは手にとろうともしない人である。その彼が、いまは全身汗だくで、いま汚れたばかりではないワイシャツをネクタイをゆるめたまま腕まくりして着ている。しかもそれは一昨日私が会社に送りだしたときに着ていたものだ。すると、この人は夕べお風呂に入っていないということになる。信じられない。結婚して一二年、そんなことは一度もなかった。 「どうして連絡しないんだ。俺にはなにも知らせないつもりだったのか」 「え……」 家を出ることは手紙に書いて置いてきた。離婚するかしないかは夫に任せるつもりだった。私は加也乃さんのように再婚の心積もりはない。だから、籍がどうなっても気にならなかった。 「恵養苑から電話があった」 夫は目頭をおさえた。「お義母さんの荷物はどうするかと聞いてきた」 ああ、そうか。三年もいたのだ。多少の私物はあっただろう。看護婦長に頼むのを忘れていた。 「聡子」 夫は私の横に膝をついた。 汚れるわよ。私は思ったが、声にならなかった。涙はとめどなく流れ落ちていた。 「帰ろう。一緒に家に帰ろう」 夫の声は優しかった。怒気はかけらもなかった。私は頭を振った。 お願いです。このまま別れてください。ごめんなさい。私はあなたにひどいことをしました。取り返しのつかない、ひどいことです。お願い、別れて下さい。もっとひどいことにならないうちに。 私は抱きかかえようとする夫の手を押し戻した。また頭を振った。 夫は拒絶された手を下ろし、深く嘆息して腰をおろした。グレイのスラックスが黒くなってしまった。 別れて下さい。私ははっきりと言葉にして伝えたかった。しかし声がでない。もれるのは嗚咽だけだった。 ボストンバックの中に薬が入っている。結婚してからずっと飲み続けている。ピルだった。 子供はできない。できるはずがない。私がつくらなかったのだから。 私は毎日かかさずピルを飲み続けていた。結婚して今日まで、一日もかかさず。 怖い。私は怖くて仕方なかった。子供を欲しいと思わなかった。愛せると思わなかった。 再婚が難しくなるからと、樋野さんの子供を堕胎した加也乃さん。 家族を崩壊させたと弟を恨んでいた母。 祝福される子供がいない。私が知っている子供はみんな死んだ。殺された。怖い。 夫は知らない。知らないままがいい。一二年の結婚生活は無駄にしたが、妻の裏切りにまであなたが心痛することはない。私は石女のまま去るから、私のことは忘れてください。罵ってください。 「別れてください」 私はやっと声に出して言った。まだ涙はとまらなかった。涸れるにはどれだけの年月がかかるだろう。一生無理かもしれない。私が背負った罪の重さと同じで。 「ごめんなさい……」 私は頭を下げた。だから夫の顔は見れなかった。見ていたら、夫が私のボストンバッグを見つめていたのを気づいただろう。だが、それに気づいたからといって、夫の次の言葉は予測できなかっただろうが。 「子供はいいよ」 夫は静かにそう言った。 「聡子が生みたくないなら、俺もいい」 私は頭をさげたまま体をこわばらせた。 ――生みたくないなら、いい? どうして私が生みたくないなんて。 私はそろそろと頭をあげた。涙がとまっていた。夫の顔を見る。夫はバッグを見つめたままだった。薬が入っている。ピルが入っている。 「どうして……?」 私の声は震えていた。自分でも滑稽なほどだった。 夫は、やはり顔を動かさずに言った。 「不妊治療は夫婦でするもんだ。おまえ一人だけっていうのはおかしい。病院に訊いた事がことがある」 「いつ……」 「おまえが病院にかかるって言ったとき」 それなら五年も前ではないか。ずっと知っていてなにも言わなかった? 「薬を飲んでることはその前から知ってた。でもそれがなんの薬なのか調べたのはあの時だ」 私は呆然と夫の横顔を見ていた。この人は誰だろう。私の知らない人のような気がする。 「弟さんが亡くなってることは知ってる。お義母さんがよく言ってなかったことも知ってる。だから、あの薬にはなにか意味があるんだろうと思ってた。おまえが言わないんなら無理に聞くつもりもなかった。でも言ってほしかったけどな。先生に子供を諦めろって言われたっておまえから聞いたときは、さすがにショックだったけど。ああ、やっぱり本音は言えないのかな、て」 この人は……。 私はどうしてこの人を選んだのだろう。子供をつくる気がないのならば、こんないい人を選ぶことなかったのに。この人はいい父親になる。誰かの父親にしなければならなかったのに。私が歳月を無駄にさせてしまった。 「ごめんなさい……」 夫は私を見た。優しく微笑んでいた。 「ごめんなさい……」 本当に申し訳ない。帰らない時間を悔やんでも仕方ないことは、弟の時に散々味わったのに。 弟が川に入らなければ私たちの家族はこんなことにならなかった。 弟がキャンプに行かなければ私たちはあのまま平穏に暮らしていた。 あのとき台風が川を荒らさなければ……。 虚しい遡時の繰り返し。やり直しのきかない過去。 「ごめんなさい……」 私は壊れた人形のようにつぶやきつづけた。もう涙も出やしない。己の愚かさに心臓がとまりそうだ。 夫は私の頭を抱えて胸に埋めた。汗臭かった。そして夫の匂い。私はしがみついて泣いた。わんわん泣いた。声を出して泣いたのはこれが初めてだった。 私は夫と家に戻った。翌日、夫を会社に送り出してから不動産屋へ連絡した。預けてあった鍵を返してもらった。実家を手離さないと伝えたときの不動産屋の顔は複雑な色を見せたが、そのほうがいいかもしれませんね、と言って用意していた譲渡書類を破棄してくれた。不動産屋を出る間際、彼はぽつりとつぶやいた。 「あのユリは移さないほうがいいですね」 私は軽く会釈して辞去した。 私もそう思う。だから実家を残そうと思う。でもあの家には住まない。もう誰も住むことはない。あそこは墓場だ。母が守ってきた、父と弟の墓場だ。 母は弟が憎いと言っていたが、あの白ユリを見てそれは嘘だったとわかった。母が憎かったのは弟ではなく、弟の死だ。家族の崩壊ではなく、消滅だ。あそこは家ではなくなった。墓場になった。そして母は墓守になった。 死者にたむける花は毎年夏になると満開になる。むせかえる匂いが麻薬のように人を惑わす。死者に近くなる。だから私は今年はあの墓場には行かない。今お腹の中にいる子供が生まれたら、手をつないで会いに来よう。三人が眠る、美しい奥津城に。 ―― 了 ―― 2001年 |
黄泉帰里(よみがえり)
| バス停から二時間近くも歩きつづけているのに、一向に人家は見えてこない。 私は立ちどまり、肩で息をついだ。 女の身で一人、よくもここまで来たものだ。山はうっそうと茂り、暗い。ハイキン グコースではない。ひとけはまったくといっていいほどない。ここで道を失ったら助 けは呼べない。 だめだ。倒れる。私はへたりこむように、その場に崩れ落ちた。 もう立ちあがれないかもしれない。息をつぐのも億劫になるほど、私はどろどろに 疲れていた。 村への道は一本しかなく、曲がりくねってはいるが、距離は大したことない、との ことだった。 そうかもしれない。時間はどんどん過ぎていくが、周りの風景はほとんど変わらない。 おそらく、距離的にはさほど進んではいないのだろう。だが、曲がりくねった道とは、 切り立った崖や千尋の谷のことなのか? あれのどこが、ただの曲がりくねった 道、なのだ。 何度登り、足を踏みはずしそうになったことか。何度下り、滑り落ちそうになったことか。 アスファルトの街に生まれ育った者には前人未踏のジャングルだ。 枝を払ってあるだけで、かろうじてそれとわかる道順は、人路としてはあまりにも過酷 だった。 それを女の身の私がたった一人で進んでいけるのは、どうしても果たしたい願いがあ るからだった。 へたりこんでいても鉛のようなリュックは肩に喰い込んでくる。しかし、それを降ろす動 作さえも、もうできなかった。気力も萎える。体力はとっくに尽きていた。三ヶ月前のあの 日、あの電話を受けた時に私の心臓は凍りつき、再び温かくなることはない。眠れない 日がつづき、どんどん体が冷たくなり、あのまま朽ち果てるだろうと思っていた。あの人が 手を差し伸べてくれるまでは。 私は木の幹にもたれかかって両足をだらりと投げ出した。糸の切れた操り人形みたいだ。 息を吐く。白い。陽が傾いてきた。寒い。気力もなくなれば、私はここでこのまま腐り、塵に なって風に飛ばされるだろう。 会いたい。もう一度、会いたい。 私は愛しい人の名を口の中でつぶやいた。 タカラ。 私も死んだら、あなたに会えるだろうか。 タカラに初めて会ったのは、大学に入ってすぐの春、一年前の四月だった。アルバイト先の 印刷屋で彼は新卒の新入社員だった。 進入社員は先輩に仕事を教わり、復習の意味もかねて、それをアルバイト生に伝授すると いうのがその会社の研修方法だった。私の担当にタカラがついた。 毎日が楽しかった。アルバイトは週に三日、夕方五時から夜十時までの短い時間だったが、 私たちが一緒にいる時間は日に日に増えていった。私は大学の授業はそっちのけで印刷所に 入り浸っておしかけアルバイトをしていた。 印刷所の社長は黙認してくれた。それもそうだろう。勝手に無償で働いてくれる貴重な人材だ。 組合があるような大きな会社じゃない。社長がなにも言わなければ他に咎める者もいなかった。 おかげでこの春、見事に留年が決定した。しかし私には気にならなかった。大学はやめてもよ かったが、親は、せめて卒業しろ、と言い、タカラも私の両親の意見を尊重したので、もう一年だ けの猶予をもらって私は家を出た。両親は一人娘の私をなにかと引きとめたが、結局、私の望む ようにしてくれた。 毎日が嬉しくて仕方なかった。自分でも驚きだ。こんなに好きになる人がいるなんて。あんなに 大事に育ててくれた両親を悲しませてまで、愛することがとめられない人がいるなんて。 それを、たった一本の電話が断ち切った。 警察からの電話は、あと二分で日付が変わるという真夜中にかかってきた。いつも一緒に印刷屋 から帰るはずのタカラが、その日は私が着替えている間に先に帰ってしまった。こんなことは初めて だった。急いでアパートに帰ってみても明かりは消えたまま。ひとことの連絡もないまま私は途方に くれて、一人でただ待つしかできなかった。 受話器から聞こえる男の声は事務的だった。ただ、タカラの名を出し、知っている人ならば署に来 てくれ、と言った。私はふらふらとおぼつかない足取りで警察署に赴き、そこでタカラの遺体を確認 してほしい、と告げられた。私の心臓は凍りつき、あれからずっと動いていない。 霊安室に入ったのは初めてだった。タカラもそうに違いない。最初で最後。彼は骸になって横たわっ ていた。そしてその並びには、私の知らない女がいた。彼女も遺体だった。 身寄りのない二つの遺体のために私の両親も呼ばれていた。母の顔を見た途端に私は気が抜けて 意識を失った。だからどうやってその部屋を出たのか、タカラとその女の葬儀がいつ終わったのか私は 覚えていない。 その女の名を私は今も知らない。知る必要はないし、覚える気もない。タカラの妻。その事実だけ私の 心臓と一緒に凍りついた。 タカラは印刷屋の進入社員だったが、新卒者ではなかった。そういえばそれは私が勝手に思い込んで いただけだ。聞いたわけじゃない。だから彼の年齢も二十二歳と勝手に決めつけていた。本当のところ、 彼は二十七歳で、結婚して八年もたっていた。 私はなにも知らなかった。タカラに聞いたこともない。知る必要はなかった。彼が一緒にいてくれれば、 それでよかった。 妻がタカラを刺し、自らも同じ刃に身を刻んだのだと聞いた。激情にかられた無計画な犯行だと警察は 言っていた。 どうでもよかった。計画的でも無計画でも、そんなこと私には意味がない。タカラが死んだ。それだけが 私の心臓を凍りつかせた。 私は食事をしなくなった。何度か貧血で倒れて入院し、栄養は点滴でしのいだが、不眠症は治しようが なかった。薬は効かなくなり、日に日に体力は衰え、死病をまとった。 診療科に転院させられたが、ひとことも喋らない私のカウンセリングが幕を閉じるのはそう日数を費やす ものでもなかった。すべての医者から匙を投げられた私は、人生も投げだせられるものかと考えるようにな った。会いたい。もう一度、あの人に。 ビルを見上げた。古い七階建ての雑居ビル。管理人を常勤させていないから出入りは自由。セキュリテ ィーの不備は素人にも筒抜け。もっとも、ビル荒しが好みそうなテナントはひとつも入っていない。その分、 私の目的にはうってつけだった。 私が必要なのはこのビルの屋上である。ドアの鍵が壊れていて防御柵もされていない。屋上には貯水 タンクがあるのみで金網も張られていない。飛び降りるにはもってこいだった。 私は屋上のふちに足をかけた。高さ十五センチほど。道路の沿石みたいなものだ。一歩足を踏み出せば、 二十五メートル下にアスファルト道路があるだけ。私は叩きつけられて、ただの肉塊になるだろう。 私は息を吸い込んだ。ぐっと腹に力を入れて手で押さえる。さあ、と意気込んで両手を広げる。 ふいに、その手を誰かが引き戻した。私は慌てて後ろを振り返る。老婆が一人立っていた。私の右腕を がっしりと握り、無表情に立っている。 離して。と叫ぼうと口を開いたとたん、すーっと血の気が下がり、私は気を失った。体がどすんと音を立て て屋上のコンクリートの上に崩れる。老婆はまだ私の右腕を握っていた。 意識が戻ったとき、私は老婆の膝枕で横たわっていた。雑居ビルの一室だった。でも何もない。リノリウム の床はところどころはげかかっているし、机も棚もない。空室の鍵が壊れていて、この老婆が勝手に入り込ん で使っているのだろうか。私はぼんやりと考えた。 老婆の膝枕は気持ちよかった。背は低く痩せていて、クッションはよさそうにないのに、私は老婆の膝枕 から立ち上がろうとはしなかった。私が気づいているのを知っているのに、老婆も私を起こそうとはせず、ゆっ くりと優しく頭をなでていてくれた。 どれくらいたった頃か、老婆がぽつりとつぶやいた。「会わせてやろう」 それは本当に小さな声だったが、私の耳の真上でささやかれたので、はっきりと聞こえた。 「会わせてやれるよ」 私はじっと老婆の顔を見た。老婆は節くれだった指で私の前髪をかきあげた。 私はほっとして目を閉じた。老婆は村への行き方を私の耳にささやいた。聞き終わったとき、私は眠って しまい、起きると自分のベッドにいた。辺りを見回す。右腕をさする。息がもれた。 夢だったんだろう。そんなことあるはずない。私は立ち上がった。素早く着替える。もう一度右腕をさする。 家を出た。村を目指した。 木のぬくもりなのか、私の体温が移ったのか、幹にもたれかけさせている背中が温かい。 陽はとっぷり暮れた。寒い。手足は突っ張って動かない。冷えきっている。もうだめだな。ここで終わる。 目からぽろっと涙が落ちた。一度流れるととめどなくあふれる。でもそれは私には意外だった。泣きたい わけじゃない。なのに涙がとまらない。嗚咽は出ない。ただ、乾いた目を潤すためのように、壊れた蛇口の ように涙だけがこぼれた。 そしてそれは、タカラが死んではじめての涙だと気づいた。私はまだ泣いてなかった。彼にもう会えない、 とわかっていても泣けなかった。それが今、とめどなく涙があふれる。悲しいわけじゃない。 では嬉し涙なのか。願いは叶うのか。 私は背中が一層温かくなるのを感じた。 涙でにじむ闇の彼方に、揺れる赤い灯が映っていた。それはゆっくりと近づいてきた。 村人に支えられて案内されたのは粗末な庵だった。粗末といえば、村自体が粗末だった。信じられない ことに電気がない。明かりはすべてだった。 勧められて座った藁の座布団の向かいの席はからだった。白湯が出される。私は遠慮なく一気に飲んだ。 喉が鳴る。息を吐いて茶碗を置くと、向かいの席に老婆が座っていた。いつの間に。私は老婆を見た。雑居 ビルで私に膝枕をしてくれた老婆だった。安堵の息をついた。驚かない。むしろ、そんな気がしていた。 「よう来た」老婆が言った。 私は目だけで肯いた。 湯につかると体が弛緩した。 天然の温泉だった。村のちょうど真ん中にある。大きな岩に囲まれているが高さはなく、周りからは丸見え だった。温泉の位置からは離れているが、粗末な庵がいくつか点在しているのが見渡せる。しかし、どの庵も 灯が落とされて闇に沈んでいた。 村は小さなものだった。立って見渡せば全貌が目に入る。それほどのものだった。電気がない。電話もない。 車さえ見当たらない。もっとも、私が来た道が村への唯一の進入路だとすれば、とうてい車が使えるものでは ないが。 ここはりの里だから外から人が来ることも、外へ人が出ることもないのだ、と老婆は教えてくれた。 死んでも死にきれずに甦ってくるものが存外に多くいるものなのだが、一度死んだ者はもとの世界には入り きれずにはじきだされる。その吹き溜まりがこの村なのだという。ここは元の世界のように暮らしはあるが、 生活はない。腹がすかなければ食べもせず、排泄もない。眠ることもない。性欲もない。あらゆる欲がない。 することがない。生きていた時の自分とはぜんぜん違う。そうやって自分の死を理解すると、またへ戻っていく。 死んだことが信じられない人のリハビリ施設なのね。私がそう言うと老婆は顔をくしゃくしゃにした。笑ったの だと気づくには時間がかかった。 私は湯の中で四肢を伸ばす。体がみるみるほぐれていった。 湯から出ると食事が用意されていた。私にはなじみのない山菜ばかりだったが、味はとてもよかった。 「でもここには食事の習慣はないんじゃないの?」 そう訊くと、老婆はまた顔をくしゃくしゃにした。それがどういう返事なのか私にはわからなかったが、だから といって重ねて訊くこともしなかった。大した疑問じゃない。 私は出された食事を残さず食べた。吐き戻すこともない。薬と点滴だけで生き長らえてきた三ヶ月が嘘のよう だった。咀嚼して食事したのは本当に久しぶりだ。そしてこれが最後の晩餐だった。 空が白々と明けだした頃、老婆は私を村の真ん中にあるあの温泉へつれだした。松明の明かりだけでは 気づかなかったが、温泉を囲んだ岩のひとつに祭壇がまつられていた。祭壇といっても、こじんまりしたもの だった。手のひらに載るほど小さな石造りの塔が左右対称に配され、その中央に香炉がひとつあるだけ。 四手もロウソクも飾られていない。 私は温泉を覗き込んだ。ゆうべとなにか違う。なんだろう。手をひたしてみる。私はとっさに手を引っ込めた。 冷たい。水だ。しかも、雪解け水のように冷えた水。刺すような痛みがひたした手をおそった。 私は老婆を振り返った。老婆は満足そうに目を細めていた。 私はまた泉を見る。ゆうべは温泉だった。同じ場所だ。それは間違いない。広くもない村で庵を出て歩いた 方向も距離も違っていない。 だが、私の気はすぐに鎮まった。なるほど。こんなこともあるのだろう。ゆうべ、私が勝手にこの冷水を温泉と 感じていたのか、たった一晩であの温泉がこんな冷水に変わってしまったのか。どちらも信じられないが、 この村ならありえることなのだろう。 私は冷水で痛めた手をぷるぷると振った。手が乾くと痛みも消えた。 老婆が私に服を脱ぐように言った。私は一瞬絶句したが、さほど抵抗もなく裸になった。ゆうべの闇の中と、 夜が明けてあかるくなった今とでは裸体をさらすことへの意識が違うが、私には気にならなくなっていた。 老婆は私の手に金属製の風変わりな刃を持たせた。両端が刃で真ん中が柄になっている。柄には文様が 刻みこまれていた。見たことがある。これは歴史の教科書に載っていた。仏具だと記憶しているが、なにに使う ためのものかははっきり覚えていない。刃は両方とも手入れがゆきとどいており、鋭く光っていた。 老婆は懐から小袋を取りだすと香炉にくべた。なんともいえず甘い香りがたちこめる。ちりちりと音がした。 紫煙があがる。屋外であるのに、その煙は霧散することなく辺りに薄いベールをかけていった。火煙のように モクモクあがる煙ではない。あくまでゆるやかに、香炉の四つの穴からたなびくといった緩慢な煙だ。なのに泉の 周りは瞬く間にかすみがかっていった。 私の裸体の上を煙が這っていく。手に持つ仏具に絡みつく。甘い。どう言い表せばいいだろう。この匂い。甘い。 泉に波紋が広がった。水の底からなにかが湧き出てくる。波紋はどんどん大きく広がった。 「ほれ、来たぞ」 老婆は私の背中を押した。 私は呆気にとられながらも身構えた。拍子抜けだ。こんなに簡単に死者が呼べるのか。私はまた、禊を終えた ものものしい衣装の巫女が護摩を焚きながら黄色い声で呪文を唱えて玉串を振りまわす場面を想像していたの だが。 苦笑する。テレビの影響だな。マンガだったかな。実際はえらく地味だ。しかも早い。波紋の中心部から すでに黒い影が浮き出ていた。人の頭だ。帰ってきた。 私は手にしていた仏具を握りしめた。帰ってきた。おかえり。会いたかった。 「タカラ・・・・・・」 私が愛しい人の名を呼んだとき、彼の全身はすでに泉の上に立っていた。 これも不思議だ。水の上に人が立っている。私は手を伸ばす。タカラの頬にふれる。冷たい。くすりと口元から 笑いがこぼれた。当然だ。濡れてるもの。彼はあの冷泉からあがってきたばかりだもの。 私はあきもせず、タカラの頬をさすりつづけた。髪を、耳たぶ、鼻すじ、唇。 彼は身じろぎもせず、手をだらりとたれたまま立ち尽くしていた。 「俺・・・・・・」 タカラは目の前にいるはずの私を素通りして、虚ろな瞳を瞬かせた。 「タカラ、会いたかった。よかったあ・・・・・・」 私は彼の胸に顔をうずめた。会いたかったの。本当に会いたかった。 「でも俺・・・・・・、行かないと・・・・・・」 私は頭を上げ、愛しい人の顔をじっと見つめた。変わってない。あの頃のままだ。でも私はずいぶんんと変わって いるだろう。醜くやつれ、細って、手の指まで枯れている。 「うん、大丈夫。ちゃんと帰してあげるから」 私は手にしていた仏具を右手に握りかえた。こちらが利き腕。仏具の柄がしっくりと手になじむ。鋭く光る刃。 私はタカラの胸を見、心臓の位置を確認すると一気に深くその刃を突き込んだ。 柄を握る私の手に、肉を突っ切る刃の感触が伝わる。ぐずりと音がした。タカラは信じられないものを見るように 目を見開いて私を見た。やっと私を見てくれた。刃は柄の根元まで突き刺さっていた。 私は唐突に仏具の名を思い出した。だ。そう間違いない。でも使い方は相変わらず思い出せない。教科書には 書いてなかったかもしれない。私は正しく使っていないだろう。しかし私にはこれでいい。 タカラの胸から血は出なかった。おそらく痛みもないと思う。すでに彼は死んでいるのだからそれも道理だ。 それでも構わない。私は充分満足だ。ようやく会えた。やっと叶った。 かえってきて。。もう一度だけ、おねがい。今度は、私が殺す。 タカラは立ち尽くす。私は老婆を振り返った。 「もらったよ」 老婆は腕の中の布包みをひょいと上げてみせた。 私はほほえむ。 そしてまたタカラに向きなおり、両手で彼の頬を包むと口づけた。このまま抱きつきたいが、残念ながら私の 心臓も左胸にある。真正面では彼の左胸に突き刺さっている独鈷の対刃は私の右胸にしかこない。仕方ない。 私は彼の唇から自分の唇を離すと体をずらしてお互いの左胸を重ねた。彼の右肩に私の左手を置き、力いっぱい 身を寄せる。独鈷の対刃は、ずくっと私の左胸に呑み込まれていった。 タカラが私の耳元で名前を呼ぶ。でも応えられなかった。私たちの体はずぶりと泉に沈んでいった。 視界が真っ赤だ。そうか流れ出した私の血だ。泉の水にとけて拡散している。真っ赤だ。どんどん、真っ赤だ。 タカラは裕福な資産家の娘を妻にした。娘といっても、彼よりも十六も年上で、本人はそんなことも気にならない ほどタカラに夢中だった。 義父が亡くなり、妻が跡を継ぐとタカラは会社の金を妻から引き出した。会社が倒産し、資産が尽きた頃、彼は 妻に離婚を申し立て、妻はようやく金目当ての結婚だったことに気づいた。な女だ。タカラも、離婚届にハンを押さ ない女から一年以上も逃げ回っていたのに、やすやすと殺されてしまうなんて、莫迦な男。 そしてこの莫迦な男は私の家の資産も調べて知っていた。そして私が一人娘で両親が私に甘いことは、彼に とって私の第一の魅力だっただろう。莫迦な私。それでも愛してる。莫迦な男だから愛してる。ほかの女に殺され たなんて許せない。私が、殺す。 甦りの里は死んだことを受け入れられない人が帰ってくる里だと老婆は言った。だがタカラはいなかった。 殺されても当然だと自分でも思っていたのか。 いないのならば仕方ない。呼び出すまでだ。老婆はを私のために使ってくれるという。泉で焚いた香。魂をらせる 呪術。そしてそれに見構う代償。私は老婆から聞かされ、それこそ私の願いだと肯いた。 反魂香で呼んだ魂は自分の意志でないために、自分で戻っていくことができない。誰かが送り帰さなくてはなら ない。そう、私が帰してあげる。私が殺して、一緒に。 私は泉の底に沈んでいくタカラの体を抱きしめた。愛してるわ。私が殺した。もう、あの女には渡さない。 ***** 泉の水面はおだやかにゆらいでいた。うすく湯気がたっている。香の甘たるい匂いも消え、辺りは静かな鄙びた 田舎里に戻っていた。 老婆は両腕に抱えていた布包みを解いた。生まれたての赤子はまだ開かぬ目でも眩しさを覚り、眉間にしわを 寄せてむずがる。娘の腹に育っていた、まだにもみたぬ胎児だった。 おまえの男を呼び出してやろう。わしの里には反魂の香がある。だが、あの香で呼び出した者には帰してやる 者がいる。こちらにはもう戻ってこれない。いいか? それならばわしの里に来い。たが、わしの願いもきけ。わしにも欲しいものがある。 娘は肯いた。腹の赤子を差し出した。 老婆は泉を囲む岩の上にかがむと、ゆっくりと赤子を泉の湯にひたした。 「この湯を覚えよ。これからおまえが守る里じゃて」 たちまち赤子の顔が安らかな笑顔に変わる。 老婆も顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。 ―― 了 ―― 2001年 |
『餓鬼』
棲みつく「餓鬼」
それは憑依したものか、それとも自ら産み出したものか・・・
ワスレテシマッテイタコトをオモイダシテシマウ怖さ。
そんな経験の無い方は是非この作品を読んで、キオクの蓋を開けてみてください。
貴方の過去にもナニカがあったかもしれません。
読了後は、是非とも掲示板へ感想を寄せて下さい。彼女の今後の活躍のために・・・
また、前作「廃憶」を読み逃がした方は事務局よりメールにて配信致しますので申し出下さい。
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小さな頃から、時折、なにかの気配に気づいて振り返ることがあった。 |