4b 人生観

 


(21)【実像と虚像】

 

『 自分と鏡の中の自分

  自分と夢の中の自分 』

 

夢で良かった と思うことも再三あった。

それは現実でない夢の世界のことであり、

夢から現実に戻ることができるから か

でも年を重ねると だんだん鏡の中の自分も

夢の中の自分も どちらも自分の一部であると

思うようになってきた。

私の頭の中で空想することも 想像し考えることも

その頭の中の自分は やはり自分だと思う。

 

若い時は 現実中心的な物の見方であったが

今になり 現実と虚像の差が だんだんと

近づいていく気がする それでいい

これからは そんな生き方をするだろう。

 

    コンピュータの発達にともない

    バーチャルリアルティの世界が出来てきた

    400年前の関が原の合戦も夢の夢

    100年後の人から見れば我々の人生も無の無

    現実であって現実でない    この人生も

    バーチャルリアルティの世界である。

 

物質の世界だけが現実ではなく、空想も思いも考えも

心にえがく すべてが現実なのです。でも私は死の床では

私のこの世での人生の体験は すべて夢と思うだろうか。

 

 


(22)【自分の分】

 

『天が貴方の人生に用意してくれた

         すべてのものを受け取りなさい。』

 

それが貴方の分です。(自分の分)

貴方に用意されていないものまで、望んではいけない。

それは貴方の分ではないのです。

それよりも 貴方に用意された 全てのものを受け取りなさい。

 

天が用意してくれたものとは

父母からもらった、この身体や愛や心、それと妻と子、

夫婦で努力して得た智恵やお金、家庭です。

今与えられている健康と自由と時間とゆとりです。

これらすべて天が私達に用意してくれたものです。

私達の人生には、まだ私の知らないものがあるかも知れません。

努力してそれを見つけ出そう、何があるか楽しみです。

 

しかし与えられている 自分の分も

何時までもあると思っていけない。

自由も時間も健康もゆとりも、明日は分からない。

天が私達に用意されたものを、ただ受け取るだけではいけない。

手元にあるうちに、感謝し生かして活用すべきであると思う。

 

 


(23)【人生を味わう】(人生の目的)

 

子供の時は子供の時の

    苦しさ、悲しさ、楽しさ、喜びを味わった。

学生の時は学生の時の

    苦しさ、悲しさ、楽しさ、喜びを味わった。

青春の時は青春の時の

    苦しさ、悲しさ、楽しさ、喜びを味わった。

結婚した時は結婚した時の

    苦しさ、悲しさ、楽しさ、喜びを味わった。

子育てした時は子育てした時の

    苦しさ、悲しさ、楽しさ、喜びを味わった。

仕事をしている時は仕事をしている時の

    苦しさ、悲しさ、楽しさ、喜びを味わった。

退職した時は退職した時の

    苦しさ、悲しさ、楽しさ、喜びを味わっている。

老いや病の時になれば老いや病の

    苦しさ、悲しさ、楽しさ、喜びを味わうだろう。

 

もし 人生に目的があるならば

    自分自身のそれぞれの時代を全力で生きて

    苦しさ、悲しさ、楽しさ、喜びを味わうことだろう。

 

人生の目的とは 何かと探した。

けっして 金持ちでも地位でも名誉でも まして 権力でもない。

それぞれの職場や家庭での行動は、自分の人生を味わう 手段です。

自分の人生のいろんな時代を精一杯 努力して

苦しさ、悲しさ、楽しさ、喜びをゆっくりと味わって生きることです。

その時代は 人生で貴重な一度限りのことです。大事に味わいたい。

 

 


(24)【自分のペース】

 

自分のペースで生きたい

 

何かに追われるように進む時、たいていは失敗する。

先が見えなくなり、思わぬ障害にぶつかってしまうからです。

それは自分を忘れたためです、だから自分のペースで生きたい。

 

何かに追いかけるように進む時、やはり失敗する。

そのことしか見えない、気が付いたら別の場所に居る。

それは急ぎすぎのためである、だから自分のペース生きたい。

 

自分のペースで生きる時、あまりに動きが遅くて

他人に抜かれて行こうとも、自分の良し悪し決めるのは

他人でなくて自分だから それでいい。

 

自分のペースで生きる時、あまりに動きが早すぎて

他人を抜いて行こうとも、自分の良し悪し決めるのは

他人でなくて自分だから それでいい。

 

自分のペースが一番いい

それは前も後ろも左右も自分も見えるから

自分のペースが一番いい。

 

誰もが自分のペースで生きたいが、

自分のペースで生きることは難しい

何かに追われ、何かを追いかけて

自分のペースで生きられない

それでも自分のペースで生きたい。

 

 


(25)【夢現】(ゆめうつつ)

 

人は眠っている間中 夢を見ている

   起きて始めて 夢より覚める

人は生きている間中 現(うつつ)を見ている

   死んで始めて 現より覚める

 

誰もが夜 夢を見て、朝 夢より覚めて現実にもどる。

でも 夢を見ている時には 夢であるとは思わない。

生きている間のことも同じです。

誰もが生きている間は これが現実であると思っている。

死んで始めて現実ではなく、現実によく似た夢と気付くのではないか。

「露と落ち 露と消えしに 我が身かな

      難波のことも 夢のまた夢」   豊臣秀吉の辞世の句

 

 


(26)【私は私】

 

『私は私 人は人』

 

人はそれぞれ違う環境に生まれ、異なる性質、才能、顔つき、体型を持っている。

与えられた宿命に嫌だといって、文句をつけても始まらない。

私はフランス人に生まれたかったとか、背がもう10cm高かったらと思っても

しからがない、どうなるものではない。

人は自分の宿命をありのまま受け入れなければならない。

たとえどんなことであろうとも、与えられた自分のものを最大限に活かすべきです。

 

他人と自分と比較するだけで、何もせず自分を哀れんではあいけない。

自分には自分のものがある、この世に一人しかいないオンリーワンである。

他人と比較せず、自分を愛し自分を誇れ、そして自分で努力せよ。

誰よりも一番、自分が大切ではありませんか。

 


(27)【今が一番】

 

人生はいつも 今が一番

幸福は 今自分が立っている場所にある。

幸福は 今日という日にこそあるのです。

 

誰もが 幸せは

山の彼方の空遠く・・・・・・にあると思い

明日の明日の明日に・・・・・・あると思いますが

幸せは いま ここに あるのです。

貴方が いま ここで 掴めばよい(思えばよい)

幸せは 掴まなければ(思わなければ)

いつでまでも どこにでも ないのです。

幸せは 大きい 小さいではなく、すべて大きいのです。

何時まで待っても 大きさには変わりはないのです。

バラ色でも、サクラ色でも すばらしい。

手に入れた幸せは すばらしい。

今 貴方は幸せと思えば 幸せになれます。

私は いつも今は幸せと思うことにしています。

 


(28)【やさしく】

 

「自分にやさしくすれば 心と身体は応えてくれます。

 他人にやさしくすれば 社会も貴方に応えて、やさしくしてくれます。」

 

反対に自分に無関心になれば 心も身体も反応します。

他人に無関心になれば 社会も貴方に反応して、無関心になります。

 

多くの人は 自分が一番大切と云うが、病んだ心や身体を休ませることなく

まだ 自分にムチ打って無理をしているのではありませんか。

自分をも大事に出来ない人が、他人を大事に出来るはずがない。

社会もそんな貴方を大事にするはずがないのです。

 

それでも、自分をやさしくして欲しいと望んでいます。

 

自分にも他人にもやさしく出来れば、

もっと素敵な人生を送ることが出来るでしょう。

 


(29)【自分の人生】

 

「自分の人生は 自分で創り上げて 

    自分で守るという 信念で生きるべきです。」

 

「人は誰も 貴方の人生のシナリオを 書いてはくれません。」

     自分の人生のシナリオは 自分で書き 自分で創るのです。

 

誰もが他人の書いた人生を生きることは出来ない。

それは他人の人生を生きていることで、

自分の人生でないと気付けば、空しいものとなる。

たとえ苦しいことや辛いことが多くても、自分の人生を生きれば、

嬉しいことや楽しいことも多くなると信じています。

 

特に第二の人生はそれが大切です。

他人の思うような行動をする必要はないのです。

自分の思うように生きればいいのです。

第一の人生は 思うように生きれなくても

第二の人生だけでも 自分の思うように

自分の人生を創り上げたいものです。

 


(30)【最初の一歩】 

 

「どんなに近い所でも、行こうとしなければ到達できない」

 

どんな簡単なことでも、やる気がなければ何も出来ないのです。

やってみたいと思うだけでは 何も出来ないのです。

実際にやってみなければ、何も変化しないのです。

 

「最初の一歩が踏み出せるか」

人生への挑戦とはそんなに大げさなことばかりではありません。

日々の小さな出来事を行うにも同じです、行えば変わります。

もう私には時間が少ない(多いのかな)

先延ばしせずに行おう、最初の一歩を踏み出そう。

後悔を残さない為にも、この一歩を踏み出すことです。

 

人生には「何でもやってみる価値があるものです。」

 


(31)【今日が明日を造る】

 

昨日が今日を作り、今日が明日を作る。

20代で何をするかによって、30代の生き方が決まり

30代で何をするかによって、40代の生き方が決まり

40代で何をするかによって、50代の生き方が決まり

50代で何をするかによって、60代の生き方が決まり

60代をどう生きるかによって、70代の暮らし方も決まり

70代をどう暮らすかによって、死に際が決まることでしょう。

 

その人の人生は

その人の過去が現在を作っており

その人の現在が未来を作るものです。

でも昨日は昨日です、過去は過去です。

大切なのは 今日これからです。

明日のためには 今日これからです。

 

私には今日は 花がいっぱい咲いています。

明日の 咲くつぼみもいっぱいあります。

 

人生には 何かの花がさいています

去年 植えた花が咲いているのです。

今年 植えた花には

来年 咲くつぼみが付いています。

 


(32)【幸せな人生】

 

『日々の小さな幸せをいくつも感じ、

  時々中くらいの幸せを感じ

    たまには大きな幸せを感じられる

      可能性のある人生を送りたい。』

 

人は大きな幸せの中にいながら その中の小さな不幸を見付けて

いつも不平を云いながら 不幸に生きている人もいます。

人は大きな不幸の中にいながら その中の小さな幸せを見付けて

いつも笑顔を見せながら 幸せに生きている人もいます。

 

 


(33)【失敗で学ぶ】

 

人は失敗を何度も重ねて、失敗から学んでいくものです が

『同じ失敗を自分自身で試すよりも

       他人の失敗から学ぶ方がよい。』

失敗だけでなく すべてがそうです。自分の体験からでは学びきれません。

『 人のふり見て 我がふり直せ 』

 

特に今後の生き方はまだ体験をしておりません。

失敗を繰り返して学ぶ時間的な余裕はありません。

先人の体験談や失敗談を参考にして自分の生き方をする。

他人の姿は いつか 自分の姿になるものです。

 

 


(34)【冒険】

 

老いは冒険、老いは死に向かって冒険すること

 

人生とは生まれてから死ぬまでの冒険です。

その年齢、その体力で出来る冒険が有り、

しなければならない冒険があります。

人生は常に新しいことへの冒険であり、挑戦でもあります。

老いること そのものが新しい冒険であり、挑戦でもあります。

 

老いはいろいろ衰退もあるが、完成もあるのです。

 

年を取ることは 悪いことばかりではありません。

良いこともたくさんあることを知っておきなさい。

そうすれば老いることに楽しみが見付けられます。

 


(35)【ノート】

 

心の想いを ノートに書いてみよう。

迷ったら  

    頭の中であれこれ悩むのをやめて

    ノートに迷っていることを書いてみよう。

困ったら

    困ったことをちょっと横に置いといて

    ノートに困っていることを書いてみよう。

悩みに取り付かれたら

    悩むのをちょっと中止して

    ノートに悩んでいることを書いてみよう。

苦しみが襲ってきたら

    苦しみをちょっとよけて

    ノートに苦しみを書いてみよう。

不安になったなら

    温かいレモンティを一杯飲んで

    ノートに不安なことを書いてみよう。

落ち込んだら 

    そのドン底に腰を下ろして

    ノートに落ち込んだ理由を書いてみよう。

 

心の想いをノートに書いてみると、その正体が見えてくる。

解決の糸口が分かると、恐れという幻が消えていく。

私はいろんなことに、ノートを活用しています。

 


(36)【日々楽しむ】

 

『 日々の生活を楽しむ、日々の暮らしを楽しむ 』

私は退職後に 日々の暮らしを楽しむことに 心のスイッチを切り替えました。

 

「しみじみした幸福感は、夕食どきに得られます。」

 

貴方の夕食どきは 何時ですか、

  7時ですか、8時ですか、9時ですか。私は5時です。

貴方の人生で 夕食どきは 何歳ですか、

  60歳ですか、65歳ですか、70歳ですか。私は58歳でした。

 

人それぞれ夕食どきは 違いますが、その時から眠るまでが楽しい時です。

私は それを第二の人生 としました。

 

 


(37)【人間の矛盾】

 

人間は肉体と精神を持ち

   欲望と理性を持ち

   現実と理想を持っています。

 

だから人間は矛盾した存在です。不条理な生(人生)を

生きなければならない、宿命を持っています。

矢が刺さった「矢がも」を見てかわいそうと思う 一方で

「かも鍋」に舌ずつみを打ちます。矛盾に満ちた存在です。

 

人間は善いことも悪いこともするのです。

自分のことも他人のこともするのです。

計画も反省もします、今日だけでなく明日のことまで考えます。

そのように いろんなことが出来るのです。

だから 悩むのです、迷うのです、心配も苦労もします。

矛盾に満ちた人間だもの、逃れることはできません。

 

 


(38)【煩悩】

 

煩悩とは、身体や心を悩ませ かき乱し、煩わせ、惑わし汚す 

精神作用です。それは「執着」がそうさせているのです。

 

私は欲望とは、生きる力であると思っています。

人間は欲を断ってしまっては 生きてゆけないのです。

欲望は本来「自己を生かす力」(願い)でもあるのです。

     学校ではもっと学んで知識を身に付けよう。

     会社では仕事をいろいろ出来るようになろう。

     家庭では親として責任を果たそう、と云う欲です。

 

煩悩=我欲は「自分さえよければいい、他人に迷惑を掛けてもいい」

   「自分さえ損をしなければいい、自分が見つからなければいい」

    という自分が自分が という欲望です。私利私欲という欲望です。

  執着は「有ることに拘り、無いことにも拘ることです」

    我欲は現在のことですが、執着は未来のことです。

    執着は満足することはありません。

欲望が煩悩になってしまう原因は「我欲」と「執着」です。

 

欲望をコントロールする智恵と意志と正しい方向に向ける人生観を

持たなくてはなりません。そう努力することが、

悔いのない人生を送ることであり、人生の目的の一つであると思います。

 


(39)【比較社会】

 

今は世界中が競争時代です。他人との比較社会です。

学校でも100点よりも、序列で1番になることです。

オリンピックの金メダルも記録ではなく、一番に与えられる。

個人もグループも会社も地域も国家も競争社会や比較社会です。

 

自分の貧富、大小、幸不幸、多い少ない、上下、・・は

誰かと比較して思うものであります。

比較してもしなくても、自分のレベルは変わりません。

第一の人生ならともかく、第二の人生になっても

比較社会を引きずって暮らしています。もう比較することは止めよう。

はやく自分自身を取り戻そう と私は思います。

 

 


(40)【比較の問題】

 

幸福・不幸は比較の問題です。

  金持ち・貧乏も比較の問題です。

    長命・短命も比較の問題です。

 

自分より上を見れば、上がいます。下を見れば、下がいます。

それよりも比較しない方が もっといいのです。

自分は何時、何処にいても自分です。

比較してもしなくても、自分に変わりはありません。

 

幸福とは不幸な人を見て悟り、不幸とは幸福な人を見て思うものです。

比較する人がいなければ、幸福も不幸もありません。

幸福とは他人に作ってもらうものではありません。

幸福とは自分で作るものであり、自分で思うものであります。

幸福になるも不幸になるも、自己責任であり、自分の問題です。

 

自分は自分の人生を生きるために生まれてきたのです。

他人は他人の人生を生きるために生まれていたのです。

それが同じ時代で、同じ場所にいるから比較するのです。

時代が違い、場所が違えば比較はしないでしょう。

 

 


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