2011年 8月 人生ノート
8月1日 |
日々の平凡な生活の中に、感動を見出せる人は どんな平凡な人生でも幸福にし、どんな苦労や困難からも なにかを学び、自分の人生を生きて行くだろう。 日々の平凡な生活の中に、感動を見出せない人は 他のどんな すばらしい生活ができても 幸福を見出せないことだろう。 |
8月3日 |
「日々の生活を楽しむ、日々の暮らしを楽しむ」 これは私の第二の人生(退職後)の夢です。目標です。 私は退職後、日々の暮らしを楽しむことに、心のスイッチを切り替えた。 一般的に、しみじみした幸福感は、夕食どきに得られます。 貴方の夕食どきは 何時ですか、8時ですか、9時ですか。 今の私たちは、5時です。 貴方に人生で 夕食どきは、何歳ですか。 60歳ですか、65歳ですか、70歳ですか。 私たちは 58歳でした。(58歳で退職した) 人それぞれ夕食どきは 違いますが、その時が一番幸せを感じられます。 私は夕食どきから 眠るまでが 楽しい時です。 退職後が 楽しい時です。それを第二の人生としました。 |
8月5日 |
「生きるに 幸せが あります。生きるに 苦しみも あります。 死ぬに 悲しみが あります。死ぬに 幸せも あります。」 誰もが死にたくないと云います。生きるにも こんなに苦労があるのに、 それは たくさんの幸せがあるからでしょう。 死ぬことは、他人の目からは 悲しいことですが 本人にとっては、幸せもあるのです。私はそう思います。 私は 幸せのために 生きたいものです。 幸せのために 死にたいものです。 両親は そんな生き方をしたと思います。 |
8月7日 |
長生きは人間(私)にとって、本当に幸せなことか? 短命でも 長命でも満足を感じられる人が、幸せな人生と云えるでしょう。 |
8月9日 |
「幸せな人生」 大きな幸せの中にいながら、その中の小さな不幸を見つめて、 いつもブツブツ云いながら、不幸に生きる人間もいます。 大きな不幸の中にいながら、その中の小さな幸せだけを見つめて、 いつも笑顔を見せながら、幸せに生きている人間もいます。 私は そんな人になりたい。 |
8月12日 |
「第二の矢」 お釈迦様は「人は苦難の第一の矢を受けた上に、嘆き悲しみ混乱して 第二の矢を受けてしまうものです。第一の矢を受けても、第二の矢を 受けないようにしなさい。」と教えています。 第二の矢とは、この先どうなるか分からない、という自分自身の 不安感が作り出すものです。人の苦しみの大部分は第二の矢の苦しみです。 どんな事態に対しても、その苦しみをしっかりと見据えれば、 たとえ第一の矢をうけても、第二の矢は避けられます。 このことが大切です。この第二の矢を受けないよう注意しなさい。 |
8月16日 |
一休禅師は「私は耕さずして、ご飯を頂いている。織らずして着物をきている。 私はもらい過ぎている。これをどう返せばいいのか」と語っておられる。 私もそう思います。「私はもらい過ぎている」という考えが大事です。 「どう返せばいいか」という気持ちが大切です。 でも人は逆に「私はまだもらい足りない、不足だ」と思っています。 国家に対しても、社会に対しても、他人に対しても、それを望んでいる。 |
8月20日 |
「命が一番大切と思っていたころ、生きるのが 苦しかった。 命より大切なものがあると 知った日、生きるのが 楽しくなった。」 (星野 富弘) |
8月22日 |
急ぐな、ゆっくり歩め 人生にゴールなどないのだから、急ぐな ゆっくりと歩め。 ただ自分のやるべきことは早めにやっておくことだ、そして やりたいことは沢山やればいい、貴方が出来る範囲で! |
8月25日 |
世界平和など あると思うな 人間はそれぞれ考えが違うから人間です。 考えの違う人間が、世界平和を創ることは出来ない。 人間の世界では すべてが平和の社会はありえない。 求めてもムダであるが、努力は行うべきです。 |
8月27日 |
人間の平等など あると思うな。 本来 人は平等であったと思います。それを不平等にしているのは人間です。 人間は競争が好きです。スポーツも競争です。学問も競争です。 個人も企業も地域も国家までもが 金儲けに競争しています。 争いも戦も戦争も同じことです。平等を口にして不平等に努力しています。 |
8月29日 |
人間は 皆 同じではない。 人間は皆同じ皮を着ているからといっても、皆同じ価値観や人生観を 持っているものでもない。それぞれ持っているものは天と地の差がある。 それを皆同じに扱うことが、間違っていると思う。 同じでないものを、同じように扱おうとしているから難しい。 |
8月30日 |
人に踊らされるな。 自分の価値観で行動せよ、自分の考えで行動せよ。 |
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