7-2-1 仏教の言葉


「釈迦」

 

『人は黙っていてもそしられる。

黙りすぎてもそしられる。

 少し喋ってもそしられるものです。

すべての人に褒められる人もいないし、

また、すべての人にそしられる人もいない。』  (釈迦)

 

仏教の教えと云うより、人間本来の姿に思います。

人は百人百様です。すべての賛成も、すべての反対も無い。

 

 


「第二の矢」(釈迦)

 

お釈迦様は「人の苦難の第一の矢を受けた上に

嘆き悲しみに混乱して、第二の矢を受けてしまうものだ、

第一の矢を受けても、第二の矢を受けないように」と教えています。

 

 

人は第一の矢(問題、失敗、課題)には耐え 我慢することは出来ます。

第一の矢は身体に受けますが、第二の矢は心に受けて、耐えることも

我慢することも出来ません。ただ悩み苦しみ諦めるだけです。

第二の矢は何の対策も解決も出来ないのです。

 

第二の矢とは、この先どうなるか分からない、と云う自分自身の不安が作りだすのです。

人の苦しみの大部分は、第二の矢の苦しみです。どんな事態に対しても、その苦しみを

しっかりと見据えればたとえ第一の矢を受けても、第二の矢は避けられます。

ここが大切なことです。この第二の矢に注意しなさい。

 

 


「道元禅師」

 

道元禅師の言葉を私が納得しやすい言葉に書き換えたものです。

「人の価値は地位や財産や職業には関係ありません。

 知識や能力や服装だけで人を評価すると、過ちを招きます。

 知識を活かす心と、行いこそ大切なものです。

 人の価値は 心と行いから生ずるものです。」

 

 

「生まれて死ぬ、一度の人生をどう生きるか、それが仏法の根本問題です。

 長生きすることが幸せでしょうか、そうではありません。

 短命で死ぬことが不幸でしょうか、そうではありません。

 問題はどう生きるかであります。」

 

 

「仕事に定年はあっても、人生に定年はありません。老後も余生もありません。

 貴方の人生は 貴方が死を迎える一瞬までは 貴方の人生の現役です。

 人生の現役とは、自分の人生を悔いなく生き切ることです。

 そこには「老い」や「死」の恐れはありません。

 尊く美しい老い、安らかな死があるのみです。」

 

 

「貧しいことが 悪ではありません。

 豊かなことが 善でもありません。

 貧富にかかわらず 貪欲な心が起こるとき、

 人は美しい心を失います。仏心とは足る知る心のことです。」

 

こんな境地、心境になりたいものです。


 

 

 


 

 

 


 

 

 


 

 

 


「そのうちに」(相田みつお)

 

『そのうちに お金がたまったら

 そのうちに 家でも建てたら

 そのうちに 子供から手が放れたら

 そのうちに 仕事が落ち着いたら

 そのうちに 時間のゆとりが出来たら

 そのうちに ・・そのうちに・・と

 出来ない理由を 繰り返しているうちに

 結局は何もやらなかった。空しい人生に幕が下りて

 頭の上に寂しい墓標がたつ、そのうちに、そのうちに

 日が暮れる、いま来たこの道 帰れない。』

 

私も第一に人生の時は、そのうちに と家庭のことは先延ばししてきた。

それよりも、仕事 仕事で余裕がなかったが、退職した今が私にとって

「そのうち」の時かもしれない。だから私は今、今日を大切に生きたい。

今でしか出来ないことは、先延ばしをせずに、迷わず行ってゆきたい。

もう「そのうちに」と先延ばしをしたら、二度と行うことは出来ないだろう。

一度しかない人生だから、やりたいことは やれるうちにやりなさい。

好きなことは好きなうちにやりなさい、出来ることは出来るうちにやりなさい。

私の最後の 人生だから。悔いを残さずに大切に生きたい。

 

 


「辞世の句」

 

『49年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒』  (上杉謙信)

 

『人間50年 天下のうちにくらぶれば 夢まぼろしのごとくなり』(織田信長)

 

『何事も 夢まぼろしと思い知る 身には憂いも喜びもなし』  (足利義政)

 

『露と落ち 露と消えに我が身かな 難破のことも夢のまた夢』(豊臣秀吉)

 

『人の一生は重荷を背負う遠き道を行くが如し・・・』   (徳川家康)

 

天下を極め、財貨を集め、すべての望みを手にし、栄耀栄華に生きた人でも、

本当の満足や真のやすらぎ(平安)が得られない。人生に悔いを残して生きていた。