7 天使の言葉

 

7−2 死とは


「死とは 1」 死はどういうことですか?


 

「死とは霊界という、素晴らしい世界に行くことで、

悲しんだり、恐れるようなことではありません。」

 



 

「死は悲しいことでも、怖いことでもありません。

ただ肉体の終わりです。この世の生活の終わりです。

この世での体験の終わりです。(卒業です)

あの世での苦痛のない、平安と自由が与えられるのです。」

                   (天使の言葉)

 


 

自分とはこの身体であり、肉体と思うなら、死んで終わりです。

自分とはこの霊(魂)であると思うならば、死は終わりでなく、

死はこの世での人生の体験の終わりで、卒業なのです。

 

死が、この人生の卒業であると知れば、全部終わらせてこの世を卒業したい。

卒業する日まで、この人生を生きて自分を体験することだと、私は理解した。

 

死を理解することは 生きることにつながります。

自分を充分に生き切れば もう死を恐れません、私は死を悲しみません。

自分に与えられた人生で悔を残さないように、自分の人生を生きることです。

 

ここで云う死は、他人の死ではなくて、自分自身の死です。

死は悲しいもの、怖いものという概念を持っていました。

死は怖くないとの言葉をよく理解することです。

それでも親兄弟の死(別れ)は悲しいものでした。

 

 

 


「死とは 2」


 

「長生きがいいとは思わないことです。

        生も死もないのですから。」

 



 

「幸せに生きているなら、死ぬことを心配する必要はないのです。

たとえあと 一ヶ月でも、一年でも、十年でも同じことです。

永遠の中の時間は同じことです。時間は概念です。」

                        (天使の言葉)

 


 

日本人の寿命は平均80歳まで生きられます。世界でも高寿命です。

うれしく思いますか?  それよりも有意義に生きることです。

価値ある生き方をすべきです。

 

妻や家族がいるからまだ死ねない、幸せだから長生きしたいと思うのです。

死は嫌な事と思っていますが、死があるから一生懸命に生きられるのです。

 

もし120歳まで生きたら地獄を感じるでしょう。死は救いです。

死は(寿命は) 自分にとって一番良い時に、訪れるものです。

 

 


「死とは 3」 死は目的の達成の時


 

「死とは この世に来た目的を達成した時、我々は自分で

その時を知り 受け入れるようになるだろう。

これ以上この人生で何も得ることが出来ないと知るからだ

まだ死が来なければ、貴方はまだすることがあるからだ、

それを終わらせることです。」  (天使の言葉)

 


 

死は、自分の人生の目的が達成された時、訪れるのでしょう。

まだ生きているのなら、まだ目的が達成されていないのです。

   

人生の目的とは何でしょうか?それは自分の人生を体験することです。

体験すべきことは、楽しいことだけではありません。苦労も体験です。

体験では、物質的な体験より、精神的()な体験を意味しているのです。

(旅行に行くことではなく旅行から得る感動、楽しみです。)

 

生きて体験から学ぶことが、この世での目的の一つであると思います。

学ぶ(体験する)ことは人によって違います、貴方は貴方に与えられた、

体験をすればいいのです。それが終われば死が訪れるでしょう。

 

 


「死とは 4」 生きることに最善を尽くしなさい


 

「やり残した仕事を片付けてしまえば、たとえば憎しみや欲望や

執着など、否定的なものを吐き出してしまえば、貴方は気付くだろう。

20歳で死のうが、50歳で死のうが、90歳まで生きようが、

もう問題ではない。」              (天使の言葉)

 


 

この世に生まれてきた目的は、お金や物質を得ることではありません。

魂(人格)の成長です。だから物質的なものの見方では分かりません。

精神的に成長をすること、人格の向上です。

 

自分の目的が達成すれば(欲望、執着、煩悩・・など克服できれば)

生きる年齢は、問題にならなくなると云っていますが、まだまだ

生きたいと思うは人情です。

 

 


「死とは 5」 人の寿命は決まっていますか?


 

「ほとんどの人間の地上生活の寿命は、予定されています。

あらかじめ分かっております。また運命付けられているのです。

同時に自由意志によってその「死期」を短くも長くも出来ます。

複雑な要素の絡み合いの中で人生が営まれているのですが、

基本的には自然の摂理によって規制されているのです。」

                     (天使の言葉)

 


 

自分の寿命を気にすることよりも、自分の意志で身体を大切にしなさい。

自分の身体の健康管理です。貴方は自分の身体を酷使していませんか。

 

死とは 貴方のこの人生での目標が、達成された時に訪れるそうです。

 

 


「死とは 6」 死は罰ではなく報酬です。


 

「肉体はいずれ死が訪れます。死によって霊は肉体から開放されるのです。

その意味では肉体の死は霊の誕生です。その死を地上の人間は悲しみますが、

我々霊界の者にとっては、少しも悲しむべきものではありません。

 

霊界への誕生ですから、死は自由解放への扉を開いてくれる恩人です。

煩わしい地上の悩み事から開放してくれるのです。死は罰ではなく報酬です。」

                           (天使の言葉)

 


 

死を悪と思うか 善と思うかは、他人が決めることではありません。

他人は自分にとって どうかで判断しているのです。

本人にとっては、一番良い時期に訪れているのです。

 

 


「死とは 7」 死の準備


 

正しい考え方をしながら人生を歩むことで、死の準備が整うのだ。

死の準備は、眠る時の準備と同じだ、眠る時はこの世に目覚めるけれど、

死んだ時はあの世で目覚める。

 

心地よい眠りを得るには、怒りや否定的な心を解き放つ必要がある。

自分に向けられた悪意も、すべて許してからでないと眠りについてはいけない。

眠る前は自分の思考に目を向け、美しいものごとに意識を合わせることだ、

そうすれば寝ている間、思考は力強く活動し、目覚める時により強くなっている。

心穏やかに眠れる人は、心穏やかに死ねるはずだ、すべて貴方の考え方だ。」

                            (天使の言葉)

 


 

死の準備とは、欲望が無くなった時、怒りや恨みが消えた時、そして

人生の喜びに感謝出来るようになった時に、死の準備が整うのです。

 

人は死の準備が整う前に、死ぬべきではない。

死の準備は、死ぬ時に行うのでもない。

生きている間に、毎日の行いの積み重ねです。

 

 

 

 

 


「死とは 8」 寿命


 

「実は死ぬべき時期が熟さない内に他界する人が多いところに不幸があるのです。

他界する人間がみな充分に死の準備を整えて来れば、私達がこうして地上まで

戻ってくる必要はないのです。誰もが知っておくべき基本的な霊的心理を

こうして説かなければならないのは、魂が地上で成すべき準備が充分に整わない

内に送られてくる人間があまりにも多いからです。

(死ぬべき時期が来ないうちに、死ぬ人が多いのです)(天使の言葉)

 


 

事故、自殺、殺人、急病などは始から人生計画されてはいないのです。

自分には自分の自由意志があり、他人には他人の自由意志があり、

大自然も自然の法則があり、人間には自分の行った因果律があります。

それらが複雑に絡み合って起きるのです。

 

そうならないように、自分の生き方を決めるのも必要なことです。

延命をする必要はないが、寿命の尽きるまで生きるべきです。

 

 

 

 


「死とは 9」


 

「亡くなった人を悲しむのは、一種の自己憐憫(れんびん)の情です。 

自分自身の哀れみです。」   (天使の言葉)

 


 

亡くなった人を悲しむのは、人の情です、人に与えられた人情です。

何時までも悲しんでいるのは、自分自身が哀れに思うからです。

自分に哀れとは、自分が損(苦労)をするからです。(言い過ぎかな)

 

本人にとっては一番良い時に 死が訪れたのです。

(残された人にとっては、良い時良い事とは限りません。)

 

 


「死とは 10」 死別の悲しみは自己性の内在


 

「苦痛と老齢の疲労と憂うつから開放された人をなぜ悲しむのでしょうか。

暗黒から脱して光明へと向かう人をなぜ悲しむのでしょうか。その悲しみには

利己心が潜んでいます。自分が失ったものを悲しんでいるのです。」

                           (天使の言葉)


 

自分に困らない人が亡くなったときには、何時までも悲しみません。

困るとは物質面だけではありません、精神面が多くあります。

 

 


「死とは 11


「死んだ人は貴方のもとから去ったのではありません。死という

ドアーを通り抜けて新しい生活に入っていくだけです。

その人達にとって死は大きな解放です。決して苦しいことではありません。

彼らにとって唯一の辛さは、この世に残した人々が自分のことで

嘆き悲しんでいることです。」

                          (天使の言葉)


 

私もそう思います。もし私が先に死んで、残った人が何時までも嘆き

悲しんで立ちあがれずにいては困ります。生きている間に困らない

ようにしておくべきです。