7-3-1 先人の言葉


「山の彼方」(カールブッセ)

 

『山に彼方の空遠く 幸い住むと人は云う、

  ああ我 人ととめゆきて

    涙さしぐみ かえりきぬ

      山の あなたに なほ遠き

        幸い住むと人の云う・・』 

 

幸せはどこに・・・青い鳥ではありませんが

私の好きな詩です。

人はみな幸せを求めます。幸せでありたいと願います。

  では幸せとは何でしょうか。まずはお金でしょう。お金さえあれば、

  贅沢な楽しい暮らしが出来ると思います。しかし現実はお金(財産)があっても

  無くても 悩み、心配、争いは無数にあります。絶えません。

  お金以外にも地位、名誉、家族、健康と大切なものはたくさんあります。

  本当の最後の幸せは、自由であり心のやすらぎであると思います。

  それは遠くにあるのでも、勝ち取るものでもありません。

  


「岸本英夫」

 

『富、地位、名誉、肉体の健康、智慧、本能、容姿の美しさと云うような条件は

確かに幸福を作り出している要素ではあります。しかし そうしたものが

自分の死という事実の前に立ってみると、今まで輝いて見えたものが、

急に光を失って色あせたものになってしまう。』

 

死ねば終わりだ。とこんな話はよく聞きます。分かっているが求めている。

私だけではなく、すべての人も同じように求めています。そして最後に気付く。

早いか遅いか誰もが気付く、早く気付いた人のほうがその後の生き方が変わる。

無駄に生きない、無理にも生きない。他人とも協調性が出来るようになる。

何よりも自分が変わることが出来ます。

 

人生は「諸行無常」であります。

 

 


「路傍の石」(山本有三)

 

『たった一人しかいない自分を、だった一度しかない人生を

 本当に活かさなかったら、人間に生まれてきた、甲斐が無いじゃないか。』

 

私の生き方に考えさせられた言葉です。自分が立派でも、立派でなくても

強くても強くなくても、金持ちでも貧しくとも、賢くても賢くなくても、

私は私です。

この世に一人しかいない私です。この世に二度と来られない私です。

私に与えられたこの命を、納得いくように活かし切りたいものです。

私を生んでくれた両親に対しても、私の命を活かし切るべきです。

 

 


「セールスマンの死」(A・ミラー)

 

『考えて見ることだね、一生働き続けて、家のローンの支払いを済ませ

 やっと自分のものになると、誰も住むものはいないんだ。」

 

 (彼は自分の家を持つために、一生懸命に働いた。家庭や家族にも振り向く

  余裕なく働いた。お陰で自分の家を持つことが出来た。しかしあまりにも

  家庭を顧みなかったので、妻も子も家を出て行ってしまった。定年になり

  その家に住むのは、自分 独りきりだった。

  何のために、一生働いてきたのであろうか。と嘆く。)

 

多くに人はこんな生き方をしています。家のローン返済のための人生です。

家を持つことが一生の仕事です。それが人生の目的では 寂しくないですか?

 

幸せは誰かのためにすることです。そうすれば自分も幸せになれます。

 


「幸せとは」(ある主婦の気付き)

 

『望み通りに子供は希望の学校に入学できました。夫も出世をし収入も上がり、

 家を建てることも出来ました。それは長い間、私が望んでいたことでした。

 でもある日、自分は幸せではなかったと気付いたのです。何故でしょうか?』

 

 (この主婦だけでなく誰もがそのような人生を夢見ています。でも望みが

  叶えられても幸せを感じられない人は、どこが間違っているのでしょうか。)

 

人は望みが叶えば、次の望みを持つものですが、すべてを叶えることは出来ません。

大切なことは、望みが叶っても叶わなくても、今をこの瞬間を感謝することです。

それが出来れば、常に幸せでいられます。

 

 


「武者小路実篤」

 

『自分で幸福を感じている人は、それだけで満足し感謝するが、

自分で幸福を感じていない人は、他人に尊敬されたかったり、

他人に何かをしてもらうことを求める傾向になりやすいものだ。』

 

人は同じことをしても、同じ立場に立っても、幸せを感じる人も感じない人もいる。

人の目、人の評価を気にしている人は、まず自分から幸せを感じることが大切です。

他人から何かを望まないことです。望むから幸せを感じられないのです。

 


「徒然草・59」(吉田兼好)

 

『近所の火事で逃げる人は「少し待ってくれ」などと言ったりするであろうか。

 自分のみを助けようとするので、恥もかまわず、財産も捨てて逃げるものです。

 人の命は火と同様に人を待ったりはしない。死の到来は、水や火の攻め来るより

 も速く、逃れたいものです。その時になって、老いた親 幼い子 主人の恩人の

 情けなど捨てがたいと云って、捨てないでいられるだろうか。』

 

人間の「死」を、火事に例えて話しています。私の主観も入れて納得しています。

    死は必ず来ます。火事の火よりも速く来ます。

    隠れることも、逃げ切れることも出来ません。

    何も持っては行けません。貴方がかき集めた、

    財産も名誉も地位も家族も置いていくのです。

 

私たちはそんな人生を、生きているのです。死は他人と連れ立って行けません。

自分一人で行くのです。すべてを残して行くのです。

それなのにまだかき集めるのですか。それよりも有意義に使うことが必要です。

 

 


「そのうちに」(相田みつお)

 

『そのうちに お金がたまったら

 そのうちに 家でも建てたら

 そのうちに 子供から手が放れたら

 そのうちに 仕事が落ち着いたら

 そのうちに 時間のゆとりが出来たら

 そのうちに ・・そのうちに・・と

 出来ない理由を 繰り返しているうちに

 結局は何もやらなかった。空しい人生に幕が下りて

 頭の上に寂しい墓標がたつ、そのうちに、そのうちに

 日が暮れる、いま来たこの道 帰れない。』

 

私も第一に人生の時は、そのうちに と家庭のことは先延ばししてきた。

それよりも、仕事 仕事で余裕がなかったが、退職した今が私にとって

「そのうち」の時かもしれない。だから私は今、今日を大切に生きたい。

今でしか出来ないことは、先延ばしをせずに、迷わず行ってゆきたい。

もう「そのうちに」と先延ばしをしたら、二度と行うことは出来ないだろう。

一度しかない人生だから、やりたいことは やれるうちにやりなさい。

好きなことは好きなうちにやりなさい、出来ることは出来るうちにやりなさい。

私の最後の 人生だから。悔いを残さずに大切に生きたい。

 

 


「辞世の句」

 

『49年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒』  (上杉謙信)

 

『人間50年 天下のうちにくらぶれば 夢まぼろしのごとくなり』(織田信長)

 

『何事も 夢まぼろしと思い知る 身には憂いも喜びもなし』  (足利義政)

 

『露と落ち 露と消えにし我が身かな 難破のことも夢のまた夢』(豊臣秀吉)

 

『人の一生は重荷を背負うて遠き道を行くが如し・・・』   (徳川家康)

 

天下を極め、財貨を集め、すべての望みを手にし、栄耀栄華に生きた人でも、

本当の満足や真のやすらぎ(平安)が得られない。人生に悔いを残して生きていた。