【上の肖像画は義兄『ヨーゼフ・ランゲ』が描いた油絵】


  • モーツァルトはポピューラー。

  • トルコ行進曲、アイネクライネ・ナハトムジークの一節なら曲名を知らない人でも、大抵は聴き覚えがある。CD買ったり、コンサートに出掛けたりしなくても、テレビ・ラジオを通じていつのまにか巷にモーツァルトは溢れている。
    それと同じくらい、モーツァルトのイメージも氾濫している。『天才』『神童』『天真爛漫』『経済観念無し』『悪戯・ジョーク好み』・・・など数限りない。あげくの果てには、『胎教に良い』『聴くと頭が良くなる』更には『お酒の醸造に良い』とか様々である。
    時には、相反するイメージが死後200年の間に作り上げられて来た。果たして、どれが本当だろうか・・・。
    多分、それはどれも正しいといえば正しいでしょう。モーツァルトを受け入れる人々の心によってそれは変わって来ると思う。
     
  • モーツァルトの聴き方。

  • モーツァルトに限らず、およそ音楽の聴き方に『これが正しい、これが間違っている』などと言うことはない。
    しかし、ベートゥーベンの交響曲を聴く時は正座して聞かねばならない雰囲気がある。バッハ、ブラームスもまたしかり。でも、モーツァルトは踊りながら聴くも良し、寝そべって聴くも良し、このようにパソコンに向かいながら聴くも良し、車を運転しながら聴くも良し、BGMとして聞き流しても良し、一心に耳を傾けるも良し。同じ曲に一人が悲しみを感じ、一人は喜びを感じても全くかまわない。人々がそれぞれのやり方でモーツァルトに触れ、曲から何かを感じたり考えたりすれば良いのである。
    モーツァルトの『正しい聴き方は』それを聴く人の数だけあって良いのである。

    Feb/18/2000記

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  • モーツァルトの両親
  • 父、レオポルド・モーツァルトは自らも優秀な音楽家でありながら、それをはるかに上回る才能を持つ息子を持ち、その子供を真に優れた音楽家に育て上げた男である。息子、モーツァルトは確かに生まれながらにしてすば抜けた音楽的資質を持っていた。その資質に気が付き、半生をかけた適切な教育が無ければ200年後の私はその素晴らしい曲の数々を耳にする事は出来ない。
  • 父・レオポルド
    母・アンナ
  • 彼の名前はモーツァルトの父親としてだけではなく、『バイオリン教程』という教則本で後世に名を残すことになる。

  • 作曲家としてはミサ曲、交響曲、協奏曲、室内曲など残しているが、息子の曲のように評価されることはない。時折、耳にする『おもちゃの交響曲』はレオポルドの作曲である。
     
  • 母、アンナ。マリーア・アンナ・ペルトゥル(1720〜1778)

  • 1747年、レオポルドと結婚。6人の子供を産むが、その多くは幼少時に死亡してしまう。成人したのは3女のナンネル(1751〜1829)と末っ子のモーツァルトだけである。
    彼女はザルツブルグの近くの小さな村、ザンクト・キルゲンに生まれた。父は村の役人をしていたが、4歳の時死亡した。その後、母親とザルツブルグに移り住んだと言われる。
    モーツァルトの明るい快活で天真爛漫な性格は母から引き継いだものと考えられている。モーツァルト22歳の時、パリで死亡。
  • モーツァルトは天才か??。

  • 確かに彼は音楽の資質に恵まれ、父の手ほどきによって音楽家としての自己を確立して行った。それは、本人の努力の積み重ねの上に成り立ったと思う。彼は、また、優れた集中力と並外れた記憶力を持っていたようである。
    こんな、逸話が残っている。『騒音のないところならば、ゲームをしながらでも、妻、コンスタンツェの陣痛の声を聞きながらでも、あるいは馬車の中でも作曲出来た。
    交響曲、39番、40番、41番の3大交響曲はわずか2週間で仕上ているし、また歌劇・ドンジョバンニ序曲は初演の前夜、一晩で仕上た。
    また、1770年、14歳のモーツァルトは父とイタリアに旅行している。そこで、ローマのシスティネ寺院で門外不出の秘曲の『九声部からなるミレーレを一度、聴いただけ』で全て楽譜化してしまった。

    1781年10月6日の手紙でこんな事を書いている。

  • 一旦情熱が沸くと以前なら2週間を要したものでも4日で仕上ることが出来るでしょう。
  • 1784年4月24日の手紙では
  • ぼくだって、大いに努力しました。そのおかげで、今はもう努力せずに済むようになりました。
  • まさに、『99%の努力と1%のひらめき及び優れた集中力と記憶力』の上に成り立った天才である。
    Feb/26/2000記


  • モーツァルトの作曲よもやま話・・。

  • 色々な書物を読むと、彼はかなり速筆だったらしい。それは、集中力のなせる業に加え彼の頭の中には既に曲が出来上がっており、只、それを五線紙に書き写すだけだったのかも知れない。しかし、そんな彼も時には集中出来ず、筆が進まず演奏会までに曲が完成しなかったこともあった。

    こんな逸話が残っている。

  • 皇帝の御前演奏会でモーツァルトが何も書かれていない楽譜を前にして演奏したことがあり、それを見た皇帝は『君の楽譜はどこにあるんだね??』と聞かれて、『ここにあります』と頭を指差した。
  • また、更にこんな話も
  • ピアノ協奏曲第20番K466の初演では、ピアノを受け持つのは彼自身で、これもまた演奏会までに曲が完成せず、何とかオーケストラ部分は完成さ、楽譜を書き上げた。しかし、自分の受け持つ部分は未完成。彼は、何のためらいも無く演奏会を始めさせた。で、彼は作曲をしながらピアノを弾いた。

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    『このK466は彼のピアノ協奏曲の中でも最高傑作である。』

    現存する彼の自筆譜を見ると数曲以外、書き直しがほとんどない。一回で書き上げているのである。書き直しが多いのは、彼がハイドンに捧げた3曲の弦楽四重奏と歌劇ドンジョバンニの一部の舞曲だけであるとされる。

    Feb/27/2000記

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