【モーツァルトの死後1819年に描かれた肖像画】


  • モーツァルトを取り巻いた女性たち・・・。

  • さて、女性の話題となると、ついスキャンダル的な逸話を期待するが、今まで読んだ書物ではスキャンダル的な逸話などの記載はなかった。

    彼はウィーン時代に何人もの女性にピアノを教えているが、中にはモーツァルトに熱を上げ
    彼の方で辟易する女性も居たようだ。

  • アウエルンハンマーという令嬢が居てモーツァルトは彼女に毎日2時間ピアノのレッスンをしていた。彼女は彼に相当熱を上げ、彼女は『どうかモーツァルトさん一日中側に座っていて欲しい』と駄々をこねた。
  • 1781年8月22日の手紙で彼女ことをこう書いている。
  • 『僕は彼女を傷つけない様にと思いましたが、本当の事を丁重に言わなければなりませんでした。しかし、彼女はいよいよ夢中になってしまいました。

  • また、『モーツァルトさんお気を悪くなさらないで何でもおっしゃって下さいな。私は本当にあなたが好きなんです』というのです。町では僕たちは結婚すると言われていますし、またどうしてあんな面相の人を選んだのかとも言われています。
    アウエルハンマーの容貌については更に手紙ではこのように書いている
  • もし、絵描きが悪魔の肖像画を描くなら彼女をモデルにすれば良い・・・。
  • しかし、モーツァルトは彼女の音楽の才能は大変高く評価していて、彼女の為に作曲をしている。


    次にモーツァルトの言葉遊びの相手のマリア・アンナ・テクラ・モーツァルト(ベーズレ、下の肖像画)について。
     

    ベーズレ(従兄弟)
  • ベーズレ(1758〜1841)は父方の従兄弟であり、とても機知に富んだ才媛でジョークなども受け入れ、モーツァルトお得意の言葉相手だったとされる。

  • お互い、恋愛感情を持ったことは事実で、それ以上の関係に入り込む直前でお互いにスルリと身をかわしていたらしい。
    彼女はモーツァルトの死後、高位の聖職者を父親とする私生児を生むなど平穏な人生ではなかった。長寿をまっとうし83歳で亡くなっている。
    彼女と知り合ったのは21歳の1777年とされる。
     
  • 彼女からモーツァルトに送った手紙は残されていないが、モーツァルトから彼女に送った手紙は残されている。その内容は所謂、ジョーク、韻を踏んだ言葉遊び、俗にいう下ネタに関するものまで多様に渡り、受け取った彼女もまたやり返していたようだ。

  • このベースレ宛ての手紙は長い間、公開されていなかった。それはモーツァルトの『名誉を傷つける』。『良俗に反する』という理由からだった。下ネタまで登場すれば、そうなってもやむ得ないでしょう。しかし、モーツァルトの本来の姿を見出すには矢張り公開されて良かったと思うのは私だけでしょうか。

    内容はこの場所では書きませんので、興味がある方はモーツァルト書簡集をご覧ください。
    書簡集はきっとお住まいの地域の図書館には所蔵されているはずです。

    Mar/04/2000記


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  • 最後はモーツァルトの姉のナンネル(1751〜1829)について。
     
     

    姉、ナンネル

    ナンネルはモーツァルトにとっては最上の耳を持つ聴き手であり、またピアノの名手であった。当初、父レオポルドは彼女に音楽教育の心血をそそいでいた。しかし、息子モーツァルトの音楽的資質に気付くと彼女への教育の情熱は薄らいだ様だ。
    ナンネルはそのまま成長していればれっきとした女流ピアニストとして通用していただろう。モーツァルトは姉のピアノの腕前を十分理解しまた信頼しきっていたのである。姉との競演の為に『2台のピアノの為の協奏曲・変ホ長調・K365』を作曲している。
    ナンネルは天性の音楽家と言うよりも父親と同じような音楽教育家に適した性格だったようである。
    父親からの音楽教育に対して差別を受けても弟との中は睦まじかった。(後年、父親の遺産分配で若干の軋轢があったようだが・・。)
    20歳の頃、ある青年から好意を寄せられていたが、すげなくその好意を断っている。その頃は家計を助ける意味で数人のお弟子を取ったり、貴族の館で演奏を頼まれることがあった。
    この外は普通の年頃の娘と同じ生活をしていた様である。 この頃は彼女のピアノの才能が埋もれてしまっていた様だ。
    彼女は家計を助ける為にピアノの弟子を取っていたのは万が一の時の備えの為とも言われている。その一つが、弟が旅先からお金の無心の手紙が来るたびイヤな顔をせず送金をする為とも考えられる。
    弟、モーツアルトが妻、コンスタンツェと結婚した時は内心、快く思わなかったようで、渋々祝辞を送っている。弟が和解を求めようとしたが、ナンネルも父と同じくコンスタンツェに好意を持てなかった。
    ナンネルは33歳の時15歳も年上の役人と結婚した。これは無味乾燥な結婚で相手には既に5人の子供がいた。1801年夫が死亡し、その後ザルツブルグに戻り、盲目のうちに78歳で亡くなった。 死ぬまで彼女は心の中では弟、モーツァルトを誇りに思っていた様だ。

    Mar/05/2000 記


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