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モーツァルト最後の肖像画。1789年、ドレスデン滞在中に
ドーリス・シュトックによってスケッチされたもの。
モーツァルトの子供達について。 モーツァルトはコンスタンツェとの間に四男ニ女の子供を授かったが、そのうち成人したのは次男と四男の2人だけである。 1783年6月・・・長男誕生・・・・・同年8月死亡 1784年9月・・・次男・・カール・トーマス誕生 1786年10月・・三男誕生・・・・・・同年11月死亡 1787年12月・・長女誕生・・・・1788年6月死亡 1789年11月・・次女誕生・・・・・同年11月死亡 1791年7月・・・四男・・フランツ・クサヴァー誕生 次男カール・トーマスは音楽家の道に進まず役人になり1858年イタリアのミラノで没した。
四男フランツ・クサヴァーは音楽家の道に進み父の名前を継ぐ2世として演奏活動と共に作曲も手掛けた。
しかし、大成するにはいたらず1844年静養先のカールスパートで没した。母、コンスタンツェが亡くなってわずか2年後である。二人とも生涯独身だったのでモーツァルトの直系の子孫はここで絶える事になる。
四男、フランツ・クサヴァーは本当にモーツァルトの子供だったのか??。 時としてフランツ・クサヴァーはモーツァルトの子供ではなく、彼の弟子のジェスマイャーの子供では??という事が言われているが詳細は現在でも謎に包まれている。
もし、、そうであれば妻、コンスタンツェが浮気・不倫をした訳であるが・・・。
推論1 ジュスマイヤーの子供説。 妊娠から出産までの期間がおかしい。受胎期にモーツァルトは旅行に出ていた。 名前が、ジュスマイヤーと同じ。(クサヴァー) モーツァルトの手紙にコンスタンツェとの仲を臭わせるようなことが有った。 モーツァルトの子供説 モーツァルトの耳は非常に特殊な形状をしているのだが、
子供も同じ形であった。
肖像画を見るとはっきりする。こういう遺伝的所見が有ること。推論2 モーツァルトは9月の下旬にウィーンを発ってフランクフルトの戴冠式に向かい、一攫千金の夢が破れてウィーンに戻ってきたのは11月の10日である。戻ってきてみると、驚いたことには自分が2ヶ月近く留守をしている間に彼女は妊娠しており、間もなく悪阻の症状を見せ始めたのである。
モーツァルトは、そのお腹の子はだれの子かと問い詰めた。しかし、コンスタンツェは頑強に「あなたの子よ」とがんばり続けた。彼のほうは、「それはジュスマイヤーの子だろう」と言い張った。
ジュスマイヤーは25歳になる若い作曲家で、モーツァルトの弟子とも、助手とも、悪友ともいえる存在になっていて、その名前を『フランツ・クサヴァー』といった。コンスタンツェが、夫の2ヶ月にわたる留守中に、ジュスマイヤーを若いツバメにして遊んだ可能性は否定することはできない。とにかく、モーツァルトにしていえることは、自分の留守中にだれかがコンスタンツェを妊娠させたということである。フランツ・クサヴァー・モーツァルトは1791年7月26日生まれ。もし人間の妊娠期間を40週間とすれば、コンスタンツェは10月19日に受胎したことになる。ところがモーツァルトは9月22日から11月10日まで留守だった。しかし、妊娠期間というものが機械的計数的にハッキリと一義的に決まるものでないことも言うまでもないことです。
また、もし不倫の結果の子であれば、相手の名を生まれた子どもに付ける
という常識はずれことはしないはずだというのが通説であると思うのですが、(逆をとったなら別ですが・・・)
推論3 コロ・・・「モーツァルト師の弟子のジュスーマイヤー氏もご一緒でしたな」砂川しげひさ著「なんたってモーツァルト」(東京書籍 1989年6月22日)
最終章 p.124 で、完全なフィクションですがサンフランシスコ警察コロンボ刑事が登場し、コンスタンツェに事情聴取する場面があります。
(コロ:コロンボ刑事/コン:コンスタンツェ)
コン・・・「ええ、夫が身重なわたしを心配して、寄こしたのですわ。何かと身の回りが
大変だろうといって。それがどうかして」
コロ・・・「コンスタンツェさんは、7月26日に四番目のお子さん フランツ・クサ
ヴァー・ヴォルフガングさんをお生みになりましたね」
コン・・・「まあ、くわしいこと。日にちから子どもの名前までご存知だなんて」
コロ・・・「お子さんが生まれたあとも、ジュースマイヤーさんは、その間バーデンに
お泊まりでした・・・・」
コン・・・「あら、あなた。女は子どもを生んだあとが大変なのよ。そんなこと知らないの
コロ・・・「3か月もですか」
コン・・・「あなた、一体何をおっしゃりたいんですか」コンスタンツェはみるみる顔から
血の気が引いていった。
さて、これをお読みになった皆さん真偽の程はどうなんでしょうか??。ここに、掲げた推論だけでは結果は出難いと思います。200年以上も前の事ですから真実をつかむのは容易ではありませんね。真実は神様だけご存知。
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