夏休みの、うだるようなある日、大学三年21歳の近江史朗(おうみしろう)は、引っ越しの準備で荷造りをしていた。
今住んでいる築二〇年のアパートが気に入らなかった訳じゃない。ある事情があって、叔母の家に住まなければならなくなったのだ。
荷物はそんなに多くなかった。せいぜい着る物と本の類だ。電化製品は前の住人が残していったもので、これらは既に決まっている次の住人の為に置いていく。
「史朗ちゃん。終わった?」
ドアが開いて、ひょっこり顔を出したのはお互いの母親同士が姉妹で、従弟の篠原之(しのはらゆき)。高校3年17歳だ。
これから史朗は之の家に引っ越す。ある事情とは、商社マンである之の父親が転勤で南米に行くことになり、母親もついていくことになったことだった。
現在高3で大学への進学を控えている上に、治安もよろしくない土地に溺愛する一人息子を連れて行く訳にはいかないと、近所に住んでいる史朗に世話係としての白羽の矢が立ったという訳だ。
「早くしてよぉ。暑くて死んじゃうよ」
両親が結婚して長い間子どもに恵まれなかった為、一人っ子の之は絵に描いたように甘やかされて、ワガママ放題に育った。
今日の引越しだって、自分の車で運べる程度の荷物しかないから、別に之本人が来る必要はなかったのに朝早くからやってきて、やれ暑いだの早くしろだのうるさくて、史朗はイライラしながら荷物をまとめたのだった。
史朗はこれから先の生活を考えると、大きなため息をついた。
「済んだよ。待たせたな・・行こうか・・」
声をかけるとふくれっ面だった之は花がほころぶような笑顔を見せた。
そう、顔だけ見るなら之はジャニーズも裸足で逃げ出すだろうほど美少年なのだ。
さらりと額にかかる前髪は女のコも羨むサラサラヘアで、シャンプーのCMにも出られるほど天使の輪がクッキリしてる。
零れ落ちそうなほど大きな瞳は、目尻がちょっとだけ上がり気味で、意思の強さが溢れている。
元々は母親似で色白なのだが、少年らしく適度に日焼けした肌にはニキビひとつない。
鼻筋も通っていて、口唇も厚すぎず薄すぎず、絶妙なバランスで配置されていて、つまるところ之は、神に祝福されて生まれてきたかのような容姿をしているのだ。
史朗が住んでいたアパートから之の家まで、車で15分ほどの距離だ。史朗の実家は隣県にある。兄夫婦が両親と同居しているので、大学進学を期に一人暮らしをしていた。
優しい叔母夫婦は家に下宿するよう誘ってくれたけれど、之と一緒に生活することを考えると、不便でも一人暮らしをする方がよほど気が楽だと思った。
友達を呼ぶのにも気を使うからとか、バイトもするので夜中に出入りしたりすることになって迷惑をかけたくないからとか、適当に言いつくろって、卒業する先輩の後釜としてアパートを紹介してもらったのだった。
之は一緒に暮らせると思ってたのだろう、肩透かしを食らって、泣き喚いていたけれど。
子どもの頃は、一番年少の之にとって史朗が一番年が近いということで、盆暮れや慶弔の親戚の集まりがあれば、いつも世話係にさせられていた。之が史朗にしか懐いていなかった所為もあるけれど。
わがままプリンスの之だったけど、史朗の言うことだけはちゃんときいていた。
「やっと一緒に・・・・」
史朗の運転するゴルフの助手席に収まり、之がポツンとつぶやいた。
「あぁ? 何か言ったか?」
「別に・・・独り言・・・気にしないで」
そう言う之の表情は、何を考えているのかわからない、微妙な微笑を浮かべていた。
「変な奴・・・暑さでヤラレたか?」
15分ほどで到着すると、出迎えてくれた叔母は、小さな子どもにするように史朗を抱きしめてきた。
「よく来てくれたわ。無理なお願いをしてごめんね。史朗ちゃん」
20センチも長身の甥の頭を撫でる叔母にとっては、自分も之も同じような子どもなんだろう。
「無理なんかじゃないですよ。叔母さん」
「おなか減ったよ。ご飯にしてよ、ママ!」
振り返ると仲間はずれにされたように感じたのか、之が癇癪を起こしていた。
「あらあら、もうこんな時間。ちょっと待ってね、之ちゃん。すぐに仕度するから」
叔母はパタパタとキッチンへ行った。
「之・・・お前まだあんな生意気な口を利いてるのか?」
史朗が咎めるように言うと、之は頬を膨らませてプイッとそっぽを向いた。
「赤ん坊の頃は可愛かったのにな・・・」
ため息まじりに呟くと、之はハッとしたように史朗の方を向いた。その顔は叱られた子どものように、泣き出す寸前に見えた。