先日の春の嵐で、満開だった桜の花もあらかた散ってしまった今日、4月7日、私立青陵学園高校の始業式に、学生達がぞろぞろと登校していた。
その群れの中に、人の頭より一つ半程長身の偉丈夫が、ダルそうに歩いていた。
彼の名前は熊谷裕(くまがいゆたか)。この青陵の3年生に進級したばかりだ。今のところ特定の恋人はいないが、そこそこモテるようだ。立派な体躯を誇っているが運動部には所属していない。中学まではサッカー一筋だったが高校に入って写真部に在籍しているのは、将来ソッチ方面の仕事につきたいと思っているからだった。
春休みボケで、ボーっと歩いていたので案の定前を歩いている誰かにぶつかってしまった。
それが裕の運命を大きく変えることになろうとは、神以外の誰が知っていただろうか。
「あぁ・・・すまない・・・まだ寝ボケてるようだ・・・」
裕が謝罪しながらぶつかった相手を見下ろすと、新入生らしい少年はどんぐりみたいな目をまん丸に見開いていた。
「うわぁ・・・大きい・・・・先輩・・・カッコいい・・・」
まるで、憧れのスターでも見るように潤んだ目で見られて、裕は恥ずかしくなった。190センチを誇る身長は、しばしば羨望の的になっているのは知っているが、同性にこんなにうっとりと賛辞を寄せられたことがなかった上に、いきなり抱きつかれて裕は面食らった。
「先輩。ステキ。名前・・・教えてください・・・」
「お・・おい・・・お前・・・ちょっ・・待て」
裕のうろたえたような声に我に返ったらしい新入生は、抱きついていた腕を離して、真っ赤になってペコペコ頭を下げた。
「ご・・ごめんなさいっ! ボク・・1年C組の真崎恵史(まさきけいし)です。あんまり先輩がカッコいいから・・・その・・・」
まるで、愛の告白でもしているかのような新入生をよくよく眺めてみると、色白で鼻の頭にはそばかすが散らばっていて、なかなか可愛い顔をしている。肩の辺りで切り揃えられている髪はサラサラしていて、お坊ちゃまといった感じだ。
「断っておくが、俺はホモじゃねぇからな」
「ホモってなんですか?」
ニコニコ笑いながら聞き返すおぼっちゃま風後輩は、どうやら本当に世間知らずのお坊ちゃまのようだ。休みボケで、それでなくてもだるいのに、ズレた感覚の後輩に煩わされることを、裕は拒否した。
「お友達にでも教えてもらいな。後輩」
ヒラヒラと手を振って、振りかえりもせずに行こうとしたところ、背後からグワッシと抱きつかれて、裕は転びそうになってしまった。
「何しやがるっ! テメェ!」
チンピラでさえビビッてしまうと悪名高き裕の睨みにもビビることなく、ズレた後輩は笑顔で見上げてきた。
「先輩が責任もって教えてください」
「やなこった」
アッカンベーをすると、裕は目をまん丸に見開いている恵史を残して、スタコラサッサと逃げ出してしまった。
「真崎君・・・・大丈夫?」
声をかけられた恵史が振り向くと、クラスメートの高田憲太だった。
「うん。大丈夫だけど、どうして?」
「だって・・あの人、3年の熊谷先輩だろ? あんまり近づかない方がいいよ」
「あっ、あの先輩、熊谷先輩っていうんだね? ありがとう高田君、教えてくれて。でも、どうして近づかない方がいいの?」
無邪気に尋ねる恵史に、高田は声を潜めて言った。
「だって、不良だって噂だよ」
「そんなことないよ。だって、ボクにぶつかった時に謝ってくれたもん。不良は治療費を請求するから違うよ」
「えっ・・・」
高田は絶句した。ニコニコしている恵史はやはりどこかがズレてるお坊ちゃまだ。
恵史は、この辺りではちょっとは名の知られた「真崎産業」の会長である祖父や社長である父親、年の離れた兄姉から溺愛されて育ったため、おっとりと物静かな性格だった。
しかし、身体が小さいのが原因かどうかわからないが、大きな人に憧れていた。裕に抱きついたのもそう言う訳からだった。
「高田君、早く行かなきゃ新学期早々遅刻しちゃうよ」
「あっ・・・うん・・・」
中学の頃からの友人が些か疲れを感じでいるのにも気づかずに、恵史は駆け出した。