14 神仏

 


 

【 神仏は存在するか 】

 

一般的には、神様仏様は人間が全知全能の存在を「擬人化」した神仏です。

神様仏様は、心に創った人には存在していますが、創らない人には分かりません。

神様仏様は、心に信じた人には存在していますが、信じない人には分かりません。

 

しかし どの宗教にも神様仏様が存在し、存在しない宗教はありません。

キリスト教にはキリスト教の神がいます。イスラム教にはイスラム教の神がいます。

仏教には仏教の仏様がいます。各お寺にはいろんな仏様がいます。日本の神社にも

いろんな神様がいます。

また、この神を信じれば救われ、信じなければ救われない、と説く宗教もあるが、

そのようなことは絶対にない。神とは人間に崇拝されて喜ぶ存在ではありません。

 

神仏は祈っても、願い事をしても、答えることはありません。もし答えるならば

エコヒイキで、平等ではありません。そのような不公平な神は神ではありません。

 

神様に願った人だけに 叶えるようなことはしないでしょう。

仏様に祈った人だけを 助けるようなこともしないでしょう。

 

   本来 神仏は拝んでもらって 喜ばれる方ではない。

   人間のそれぞれの願い事を叶えられる存在でもない。

   私は人を差別するような、神様仏様なら信用しない。

   私はえこひいきするような、神様仏様なら信じない。

 

よく覚えておくことです。この世の中は「自助努力」です。


自分の願いを叶えてくれるは自分だけです、神様ではありません。

自分の苦難を助けてくれるは自分だけです、仏様ではありません。


 

「窮地に陥った貴方一人のために、人間的な神様が来てくれるようなことを

想像してはならない。神はあなた方の個人的なことについて救いには来ない。」

 

これが事実です。

 

それでも、祈りを聞いてくれる神様、願いを叶えてくれる仏様は

私の期待です、夢です。そんな神様仏様がいてほしいものです。

 

 

 

 

 

【 私の信じる神とは 】

 

私は思う    神=大自然の摂理=大宇宙の法則


私は神とは、全宇宙のエネルギーです、大自然の法則です。

それらの仕組みを創り、管理している存在を神と呼ぶなら、

私はそのような神様なら信じます、いや現に存在している。


 

大自然の法則は偶然出来たものではないと思います。三角形の法則(定理)

も偶然ではありません。私は神の意思と信じます。

 

人間は神が創った法則や原理をいくつも発見しました。(重力の法則、慣性の法則、

数学のいろんな法則・・)これからも沢山新しい法則や原理が発見されるでしょう。

しかし人間には法則を変更することも、新たに作ることも出来ないでしょう。

人間は法則や原理を活用するだけです。有用に活用することが大切です。

 

物理的な法則、科学的な法則、医学的な法則だけでなく、

霊的な法則(人間の法則)もあるのです。その法則は良く分かりません。

まだまだ人生にはいろんな疑問(分からないこと)があります。

 

聖書の言葉も真実でしょう。「汝の敵を愛せよ」は私には出来ません。

「持ち物を全部売り払い、貧しい人に施しなさい」これも出来ません。

聖書の言葉の大半は神の意思でしょうが、理想過ぎて実行できません。

釈迦の言葉も同じです。大半は仏の意思でしょうが、理解できません。

神様仏様は、我々人間にどうせよと云うのでしょうか?

今の宗教は組織の拡大やしきたり、行事、儀式を重んじてします。

一部には商売になっています。

 

正月に神社で「家内安全、商売繁盛」を祈るのも叶えられるとは思って

いません。日本人の儀式です、習慣です、文化です。

 

 

 

 

神仏は全能であり正義であり愛(慈悲)と云うが具体的には分からない。

 

 

その疑問に答えてくれた「シルバーバーチの言葉」には、私は納得できます。

理解できます。信じます。別欄でいつか紹介します。

 

 

 

【 神仏と人間の関わりは 】

 


「神による直接に貴方への関与は絶対にありません。

神は人間が想像しているような意味での人間的な存在ではない。」


 

神様と人間の間には    多くの法則で関わっています。

神様と人間の間には    直接の関わりはないのです。

神様と出来事の間には   多くの法則で関わっています。

神様と出来事の間には   直接の関わりはないのです。

 

法則で関わっているとは

すべての人間は大自然の法則には平等です、公平です。

人間の法則も同様に平等です、公平です。これが神との関わりです。

 

 

神仏は何処にいるのか?

あの世でも天国でもなく、法則の中にいるのです。エネルギーの中にいるのです。

神仏は存在するが、個人的には干渉しない。法則によって関わっているのです。

だから 悪いことをしても、神仏は罰も地獄もない、あるのは因果の法則です。

「因果の法則」は自己責任の法則です。その法則の中に神仏は存在する。

神仏との関わりも、その法則を通して関わっているのです。と信じます。

 

 

人々は「神の愛」「仏の慈悲」によって、人間への救いを期待してきたが、

神様や仏様は決して救いに来てはくれない。その事実を知るべきです。

 

正月に神社で「家内安全、商売繁盛」を祈るのは叶えられるとは思って

いません。日本人の儀式です、習慣です、文化です。

 

 

私は「祈りは叶う、願いは叶う」とも思っています。

自分が本当に(真剣に)祈り願い続ければ叶うと信じています。

そこにはそれだけの努力があるからです。

神仏が叶えるのではなく、自分が叶えるのです。

 

 

 

 

 

【 人間に関する法則とは 】

 

神仏について分かりにくいように、自分自身も同様に分かりにくいものです。

自分とはこの身体(肉体)ですか、心ですか、魂ですか?

この世は物質社会です。目に見える物が主体になっております。

 

何処までが正しいか分かりませんが、分からないのは自分が未熟でその域まで

達していないからです。達すれば分かるようになるでしょう。

まずは良いと思うことは実行することです。

 

 

1、         永遠の霊的進歩の法則

 

肉体は死にますが、魂は永遠に生き続け進歩向上するものです。

魂(霊)は生き残るって自分の行った行為や思想の責任を取るのです。

すべて自己責任です、自己責任であるから魂も進歩向上するのです。

この世に生まれて来たのは、魂の進歩向上です、人格の向上です。

 

人間は誰もが自分の身体(肉体)で生きていると感じ、生活しているのです。

勉強も仕事も遊びも自分の身体のために行っています。しかもその行為を

通して魂も進歩しているのです。その行為とは精一杯に尽くすことです。

一生懸命の中に、全力の中にあるのです。何をしたかは関係ないのです。

貴方がその行為に 精一杯尽くしたかどうかです。そしてどう感じたか、

何を感じたかが大切なのです。これが自分の魂の向上なのです。

 

 

 

2、         霊主肉従の法則

 

自分とはこの身体と魂がいますが、この身体を自分として扱っています。

本当は魂が肉体の主人であるのです。魂が肉体をコントロール(管理)

しなければなりません。肉体(欲望)を暴走させてはなりません。

 

日常生活では身体(肉体)が主役で身体の喜ぶことをしています。

身体を大切にしていますが、魂はどこかに隠れて大切にしていません。

意識して魂を前面に出していきたい、魂を主人にすることです。

 

 

 

3、         利他性の法則

 

生き物は自分が一番大切です。自分が自分のためにすることは

自分の身体のためになりますが、魂の進歩成長にはなりません。

他人のために行って初めて魂のためになるのです。

 

私は思います、自分自身を大切にするは、生き物の本能です。

生きるために与えられているのです。だが自分を大切にしない者が、

他人を大切にはできません。

幸せも同じです、自分が先に幸せになることです。

そうすれば、他人にも幸せを与えることが出来るのです。

自分が不幸せなのに、他人に幸せを与えることは出来ません。

私の他人とは、私に縁のあった人です、その人を優先します。

縁のあった人とは、夫婦です、親子です、兄弟親戚、友人知人、隣人です。

(本当は赤の他人に優先すべきですが、私にはなかなか出来ません。)

 

 

 

4、         自由意志の法則

 

「神はあなた方に、自由な意志と自由な選択を与えられた。」

 

「人間には自由意志が与えられています。ただし神の定めた摂理の

範囲内で行使しなければなりません。規制の範囲内なら自由です。」

 

自由意志は神様からの授かりものです。その使い道を誤ると

それなりに償いをしなければなりません。自己責任です。

 

摂理(良いこと)に乗っ取った生活をすれば良い結果が得られます

逆らった(悪いこと)行為をすれば、それなりの償いをしなければならない。

 

何を選んでも、貴方の自由ですが、自分の責任です。

良いことを選ぶ意志と智恵をもつことです。

悪いことを選ばない勇気を持つことです。

 

 

5、         自己責任の法則

 

「どんな人生を送るかは、貴方は自分の意志で選択しているのだから

 貴方は自分の人生に 100%責任がある。」

 

自由意志の法則は、自己責任の法則です。これは一対です。

自分の行為には 自分が責任を負うのです。他人ではありません。

 

その責任は貴方の目の前に自動的に現れます。逃れることはできません。

貴方が自分の責任を果たすことで、あなた自身が向上できるのです。

責任とは貴方の起きる出来事です、それを体験して味わうことです。

人間にとって辛い体験です、出来事は人によって違います。

 

自分の人生に、自分のすべての行為には自己責任があるのです。

自分で蒔いた種は、自分で刈り取らなければならない。刈り取らされる。

他人にその責任を転化することはできない。代わることもできない。

 

 

6、         因果の法則

 

「自分の行いは、自分に戻ってくる」

 

「貴方が与えたものが、自分の受け取るものです。

     与えていないものを、受け取ることはできない。」

 

「他人に与えた苦しみは、自分にその苦しみを受ける。」

 

自分の行いは、すべて自分に戻ってくるのです。

賞罰は神様が行っているのではなく、自分が行っているのです。

すべての出来事は、何かの原因があって、その結果が起こるのです。

良いことを行えば、良いことが戻ってきます。

悪いことを行えば、悪いことが戻ってきます。

 

原因に対し、寸部の狂いもない正確さをもって、それ相当の結果が生じます。

結果は原因に従うことになり、その原因もまたそれ以前の原因の結果であり

その関係が人生のありとあらゆる側面に途切れることなく無限に続きます。

 

 

 

 

7、         償いの法則・埋め合わせの法則

 

人は悪いことをすれば、その責任を取らなければならない。

その責任とは、償いです。埋め合わせすることです。

悪い行為には、必ず償うことになる。埋め合わせることになる。

 

裁判で刑が決まり、刑務所に入ることではありません。

悪を行った行為そのものが自己犠牲です。苦難の道です。

 

 

 

8、         自己犠牲の法則(代価の法則)、苦難の法則

 

償いや埋め合わせは、あなた自身の犠牲や苦難で支払うのです。

自己責任です。自業自得です。犠牲や苦難から逃れることは出来ません。

 

悪いことをして 罪を絶対に誤魔化すことは出来ません。

これが 魂(霊・心)の世界です。

 

怪我をして痛むのは身体(肉体)です、魂は痛くはありません。

悪いことをして痛むのは魂(霊・心)です、肉体は痛みません。

 

 

 

まだ人間には理解できない 法則があるだろうが私は知らない。

 

 

 

 

 

現実にはいろんな法則が複雑に絡み合って現れるものですから、

分かりにくいものです。直ぐでなく何年もたって現れるから

一つ一つ紐解くことはできません。

でも これらの法則は確実にすべての人に働いているのです。

 

 

 

 

 

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