第二の人生後半期の老計(計画)

24老計―1【 死 】(死の準備をする)

 

老計は70歳から80歳までの計画です。

 


 

[死生観]

 

[ いかに死を準備するか ] (老い、病み、死)

やるべきことをやり終えたなら、死は恐ろしくない。


もう自分が行える人生は短いことを知るべきです。


必ず死ぬ運命です、いかに老いや病や死を受け入れるかです。

それには、やるべきことを充分にやることです。だから

今日を大切に生きたい、有意義に生きたい、満足して生きたい。

老いても病んでも、最後まで生きて喜びなさい、楽しみなさい。

 

「 老・病・死 を喜んでこの身体で体験しなさい。」

心や身体(生き方)は、大切にしなさい。

誰もが老・病・死を体験するならば、心身の健康を保ち行いたい体験を

意識的にしなさい。貴方に必要なら辛い体験も与えられるでしょう。

(人生の目的は、幸せも一つですが、自分の人生を体験することです。)

 

 

 【生命の鉄則】

 

『 肉体は必ず老い、病み、死ぬ 』

 

魂は永遠に生きようと、この肉体は今回一回限りです。私と妻、子供、

両親、孫、兄弟、親戚、友人知人等と過ごせるのも今回一回限りです。

だから大切に生きたい、有意義に生きたい、喜んで生きたい。

 

私だけでなく、妻にも子供家族にも、兄弟家族にも、

そして 知人にも他人にもやさしく生きたい。

残りの人生は短いものと悟りなさい。元気な時はもっと短いものです。

 

☆ 老いてもいいように生きなさい

 

生命の鉄則だから、老いるのがイヤだと云っても老いるものです。

老いれば動きも考えも鈍くなり不自由になり、出来なくなります。

老いる前にやるべきことや、やっておきたいことは行うことです。

老いて出来ない期間は永遠ではない、死ぬまでの間のひと時です。

この期間を短くするために、老いても健康を保つ努力をしなさい。

この老いて不自由なときも、楽しく喜んで暮らすようにしなさい。

たとえ身体が老いても、頭や心はますます若くありたいものです。

身体(手、足、)で楽しめなくなれば、指や目耳で楽しみなさい。

 

☆ 病んでもいいように生きなさい

 

身体の病気や頭の病気や事故、怪我は老いよりも辛く苦しい。

病気でも怪我でも老いを早めます。出来るものなら怪我をせずに

病気になる時間を少なくしたいものです。それでも病気になれば

病気を楽しめとまでは言わないが、身体は病気でも心まで病まない

ように過ごすべきです。そして心で楽しめるようにしなさい。

これが病んでもいいように生きなさいです。

 

 

 死んでもいいようにしておきなさい

 

私は何時死んでもよいが、(私は自分の寿命を80歳と決めています)

残る妻には問題や心配は少なくしておきたい。もし妻が先ならば、

後に残る私にも問題や心配を少なくしておきたいものです。

出来れば、一人でいる期間を短くしたい。それには長生きすることです。

 

死ぬことよりも、これからを悔いなく生きることが大切です。

それには、老いを体験し、病気も体験して肉体の苦痛を味わうことも

欠かせないことかも知れませんが、どうせ死ぬなら、苦痛よりも

楽しく喜んで生き切りたいものです。

 

「 老いれば老いを体験しなさい。

    病になれば病を体験しなさい。

      死ぬ時には死をも体験しなさい。」

 

人は自分のことを体験するために、この世に生まれてきたのです。

ならばいやいや体験するのではなく、喜んで体験することです。

そんな気持ちでこれからを迎えなさい。

 

 

 

【 老い 】   「老年学」

 

老いを科学的に解明するつもりはないが、肉体の老いは必ず来るものです。

その老いをいかに受け入れて、いかに生きるか(暮らすか)と云うことです。

食生活や運動、気持の持ち方で、老化を遅らすことは出来るものです。

 

たとえ肉体や内臓が老いても、頭脳や精神まで老いないようにすることです。

そして老いを人生のマイナスと受け止めず、人生の実りの秋と思うべきです。

 

第一の人生も第二の人生も、どういう価値観で生きるかという人生観=

羅針盤を持つことは大切なことです。

 

第二の人生の前半期にやりたいと思ったことや、この人生でやるべきことは

100の挑戦」として計画を立てて実行してきました。

いま第二の人生の後半期は「100の暮らし」を楽しむことを計画して進めて

います。老いを嘆くのではなく、仕事を終えて自由を手にし、年金暮らしが

出来るようになり、老いた今だからこそ出来ることがあるのです。

その老いの特権を100%活用すること、受け入れることが大切です。

 

人間にとって人生後半の課題は、自分なりに人生観を完成させることです。

「人生の意義」を考えなくても生きて行けると同じで、「老いの意味」を

考えなくても人は誰でも年をとる。でも考えてみる時間は充分にあります。

人は老いに従うことによってのみ、老いを自分のものとすることができる。

 

老いの年齢

年齢には5種類あります。1つは暦の年齢(生年月日)2つ目は肉体年齢、

3つ目は精神年齢、4つ目はみかけ年齢、5つ目は社会活動年齢です。

老いの年齢は5つを足して5で割った年齢です。と云うことを聞いた。

暦の年齢は変えることはできないが、他の年齢は若返らせることは出来ます。

 

老いは老いてみないと分からない。

「人は老いに従うことによってのみ、老いを自分のものとすることが出来る」

だから今老いを嫌うより、老いを喜んで体験するつもりです。

 

本を読んで覚えることもある、人に聞いて覚えることもあるが、

体験しないと本当のことが分からないこともあるのです。味もそうです。

わさびは辛い、なめてみないと その辛さは分からない、と同じように

老いも老いてみないと分からないものです。老いて老いを味わえばいい。

 

 

 [ 自分の分を行いなさい ]

 

本来 自分の人生は、自分の分を生ききることです。

誰もが自分の分は分からずにいるのですが、年を重ね人生の智恵が付けば

明確に分かってくるものです。もう他人の分まで行わなくてもいいのです。

 

せっかく自分の分を行うために(体験するために)、生まれてきたのだから

この世で自分に与えられた(築いた)自分の分は、全部活用していきなさい。

自分の身体を100%使いなさい、怠けずに生きなさい。 

自分の頭脳を100%使いなさい、怠けずに生きなさい。

自分の能力を100%使いなさい、怠けずに生きなさい。

自分のお金を100%使いなさい、怠けずに使いなさい。

自分の品物を100%使いなさい、怠けずに使いなさい。

自分の時間を100%使いなさい、怠けずに使いなさい。

これが自分の分を、最大限に活用すると言うことです。

 

自分の分を生き切ることが出来れば、自分の生き方に悔いはないのです。

 

 

 

【 病気 】

 

病気には、未病と治病と死病があります。

未病は、肉体が痛んでいても症状が出ていない病気です。

治病は、元にもどらなくても治る病気です。

死病は、治らない病気です。死ぬ病気です。

医学の進歩によって今死病も治病になるでしょうが、寿命は来る。

病気は肉体だけでなく、心の病も頭の病もあります。

怪我、病気は自己責任です。食習慣、運動、睡眠、ストレス

生活環境等の自己管理が必要です。たまには検査をすることです。

治病でも死病でも短くしたいものです。心がけるべきです。

 

常に健康を維持しなさい。

年に1度の健康診断は必ず受けなさい。一病息災と云います、通院して

自分の健康度は把握しておきなさい。

病気は気からとも云います、希望、信念、愛情、笑い、生への意欲が

健康を増進するものです。そんな暮らしを心がけなさい。それでも

何時かは大きな病気になる時が来るでしょうが、今から心配しても

仕方が無いことです。それに近くなった時に考えます。

 

老老介護

これからは健康保険や介護保険を有効に活用して、夫婦で介護する形を

行う決意でいます。それでも子供家族には迷惑をかけることになる。

だからその分を前もって払って置くようにすることです。

 

死病なら延命はしない。

何歳で死病になろうと、これ以上延命してまでも生きようとは思わない。

死病とは私の宿命であり、私の寿命でもあります。安らかに死を願う。

 

 

 

【 死 】

[ 人は必ず死ぬものと心得よ ]

寿命は天に任せよ、健康は自己管理です。

 

あと30年も生きられるなら、そのような生き方をすることです。

10年しか生きられないなら、10年で満足できる生き方をすることです。

身体も頭も心も健康であれば長生きもしたいが、衰え迷惑をかけてまでも

それ以上長く生きたいとは思わない。

貴方の健康余命は何年ですか?私は80歳までの10年と決めています。

その間に、どうしてもやっておきたいことは、早めに行う計画です。

何時死んでも悔いのないようにしておきなさい。これが私の生き方論です。

 

死ぬことばかり考えているのではありません、真剣に生きるためです。

死(命)は時間です。何年生きられるかの期間です。

 

[ 死は恐れることはない ]

 

若い時であるなら、死は大問題ですが、古希を迎えれば怖いとは思わない。

日々最善を尽くして生きておれば、自分がこの世でする必要が無くれれば、

自然と死が訪れるものと思っています。

何もやり残したことがなければ、死ぬ時がきても恐れることはないのです。

 

 家族の死

いかに死を納得するか、生に執着している間は、死を納得して迎えることはできない。

元気で、健康であれば当然まだ死にたいとは思わないだろう。今の私は元気です、

健康です。まだ死を迎えることはできない。

 

いや死の病で床に付いている人でも死にたくないと誰もが願っている。

いつか生を諦める時が来る。私の父は死を恐れてはいなかった、死が迎えにくるのを父なりに準備して待っていた。そして迎えが来たと言って眠るように死んでいった。母は病院から直って帰ることができないと悟ったときもう死にたいと云った。それから三日後に話をしていて突然亡くなった。弟幸二はくも膜下で風呂の中で一瞬に亡くなったので死を考える暇もなかっただろう。前々から身体や頭が不自由なままでは生きたくないと言っていたそうだから願いは叶っただろう。姉は痛みと呼吸ができず苦しんでもう死にたいと云ったそうです。医者は麻酔をして人工呼吸に切り替えた。眠っているようだった。

 

死は願ったように死ねるのかどうかは分からないが、確実に死が来ることは事実だ。

死ぬことを嫌だといっても仕方がない、死は怖いことでもないのです。

誰もが通る道です。大切なことは死ぬまでは、せっかくこの世に生まれてきた以上は、

自分を生き切ることです。

 

生き切るとは、自分の分を最大限に活用して一生懸命に生きることです。

そう生きてきた人は、死を納得して迎えることが出来るでしょう。

 

「死を恐れるな」

 

「死とは霊界という、すばらしい世界に行くことで

      悲しんだり、恐れるようなことではない」

 

「死は悲しいことでも、恐いことでもありません

  ただ肉体の終わりです。この世の生活の終わりです。

  この世での体験の終わりです。(卒業です)

  あの世での苦痛のない、平安と自由が

  与えられると思うことです。」(天使の言葉)

 

自分とはこの身体であり、肉体と思うならば、死で終わりです。

自分とはこの霊()であると思うならば、死は終わりでなく、

この世での人生学業の卒業です。

死が  この人生の卒業であると知れば、悔いなく卒業したい。

この人生時代(学生時代)を有意義に 楽しく 幸せに過ごしたい。

卒業する日まで、この人生を生き切ることだと、私は理解した。

 

だから もう私は死を恐れません。私の死を悲しみません。

でも、親兄弟の死(別れ)は悲しいものです、人情です。

 

この世で私の人生を体験することが目的なら

私に与えられている寿命のある内に

精一杯   私に出来る体験をすることです。

それは一生懸命 生き切ることです。

私は死後のことは分からなくても

そういう心掛けで生きています。


 

 

やるべきことを行えば、死は怖くない。

 

この世に生まれて、自分のやるべきことを行い終えれば、悔いはないのです。

私の第一の人生では、一生懸命に仕事をしてきた、その生き方に悔いはない。

第二の人生でも、やるべきこともやっておきたいことも行い、

今やりたいことを行っています。充分に行い満足すれば、

「我が人生悔いなし」と云えます。

 

私自身は自分の人生を計画的に生きてきた。達成できたことも出来なかったこともありますが、すべて計画したことは体験できたと思っています。行為については、やり残したことはありません。私自身は何時死んでも悔いはありません。

 

死んでも良いと思っているのではありません。妻や家族や私の人生に対しては、最後まで生き切ることです。その時が私の死ぬ時であると思っています。

やるべきことを行ってしまえば、もう死は怖くはありません。

 

 

 

 

 

 

 

寿命−1

 

 貴方は長生きしたいですか、その言葉は愚問です。誰もが望んでいることです。その人に与えられている寿命は、その人の人生の目標を達成するまでの時間です。

 

 貴方が生きているのは、貴方の人生の目標がまだ達成していないのです。この世に生まれてきて貴方のやるべきこと、やっておきたいこと、やりたいことが終わっていないからです。たとえ老いぼれていようと、病の床にいようと、貴方の人生の目標は達成されていないうちは死ぬことはないでしょう。(達成できないことはありません)

 

この寿命は長くすることも短くすることも可能です。それは貴方の生活習慣やバランスのとれた食事や生活環境や心身のストレスなどです。貴方の気持ちしだいです。そうです貴方の日々の暮らしが貴方の寿命を決めているのです。

 

私の寿命は80歳と決めています。実際は分かりませんが、私の人生の目標の締め切りです。それまでに全部やり終える計画です。

 

本当の人生の目標は物的なことや人的なことではないでしょうが、もっと霊的なことなどです、心の問題です。自分に良いこと、人にも良いことをすることでしょう。人生の目標は人によって違いますが、これからも貴方はあなたを生きればいいのです。私は私を生きればいいのです。自然に自分の目標を達成するようになっています。

 

寿命−2

人は必ず死ぬものと心得よ、「寿命は天に任せよ、健康は自主管理」

 

『命は大切にしなさい』命に執着せよと云うのではない、命に執着しないことです。

自分がどれだけ生きられるは分からないが、それよりも今健康でいるように心がけなさい。そうすることが長生きを願うより大切なことです。

 

長生きしても健康でなければ自分の期待や願いを叶えることは難しいのです。

 

死と老と病

 

生と死の間で、老いは人生の最終に近づいている。すなわち死を準備する期間です。すなわち死を覚悟することです。それが理解できる人が、人生の最後の優秀の美を飾ることができるのです。

 

本来、老いは全てを減らすようにできているのです。希望もそうですが義務も責任も少なくなります。また欲望も減らすことができる時期なのです。若いときより老いれば諦めやすくなるものです。この世の中は、ありがたい仕組みではありませんか。老いるほど強欲になる一部の人もいますが例外です、順調に老いることが出来ない哀れな人です。この老いの年になっても大人になれない人です。

 

 

 

老いとは年齢ではなく、気持ちや身体が不自由を感じた時です。老いるのが嫌だと云っても老いるものです。老いて死が近くなれば諦めることもでき、執着も減らすこともできるようになるものです。老いても健康なうちに出来ることや好きなことを行っておきなさい。それでも老いて不自由な時がくる、その時は老いを受け入れることです。

 

 上手に老いることは難しいものです。まして健康であればある、今では死を考えることはできないものですが、出来ることから準備をしておくことです。そうすれば死を受け入れやすくなるというものです。

 

死と老と病

 

老いは身体全体が弱ってくる現象で、病は身体の一部が悪くなる現象であろう。

身体の一部が特に弱くなると病気ということになるのです。

 

病気には治る病気と、治らない病気がある。治らない病気を私は死病という。

医学の進歩で治らない病気も治るようになったが、それは死を延ばすことです。死を先延ばしすることが全て良いとは限りませんが、現代医学では倫理上

病を治そうとしています。社会も認めています。

 

私は死ぬ時(死病)がきたら、死ぬのが良いと思っています。

まだ死にたくないと慌てふためくことのないように、今を生きることです。

 

 

病と健康管理

健康管理には ストレス、食生活、適度の運動、睡眠(休養)が大切です。

もう一つ大切なことは、良いことをすることです。病に無関係ではないのです。

老いや病は当たり前と思わずに、元気に老いることです。

 

長生き」

「長生きがいいとは思わないことです、

                  生も死もないのですから」(天使の言葉)

 

 誰でも人は長生きしたいといいます、いま元気だからです。

      長生きがいいと客観的に思うだけです。

     でも長生きしている人は、長生きはするものではない、といいます。

   どちらが本当でしょうか?

          

           大切なことは生きている間に(生きている年数ではなく)

           貴方は貴方であるべきです。貴方自身を生きるべきです。

           貴方が貴方のやるべきことや、貴方のやりたいことを

           行うことです。体験することです、味わうことです。

           行い、体験し、味わえることが幸せです。

          

        死ぬことを心配せずに、幸せに生きることを考えることです。

        幸せに生きることが、この世に生まれてきた目的の一つです。

        人は幸せと思えば幸せです。不幸せと思えば不幸せです。

    心でそう思えるような生き方をしたいものです。

 

                自分の人生を幸せに生きずに死んでしまっては

                折角生まれてきて残念に思いませんか。


 

 

「長生き」2

 

元気なら長生きしたい。でも長生きすれば当然身体は弱くなる。

身体は悪くなり、不自由になる。不自由なら我慢ができるが、

自分のことが自分で出来なくなり、身体も心も苦痛になる。そして

人に迷惑をかけることになる。それまでもして生きたくもない。

 

長生きした人は、充分に自分の人生を生きてきたし身体も悪くなれば、

これ以上生きたいとは思わなくなるでしょう。

もう充分に生きたから死にたいと思っても死ねないのです。

貴方には貴方に与えられた寿命というものがあります。

 

人は誰でも自分がこの世に来た目的を達成しない内は死ねないのです。

(他殺、自殺、事故の死は、この世に来た目的を達成していない、

  だから生き方には注意することです。)

 

『長生きがいいとは思わないことです。』

長生きした人は、長生きしなければ出来ない多くの目標を持っているのです。

 

それでも長生きした人も、必ず死にます。

短命も長命も永遠の時間の中では同じことです。

身体が不自由になっても、心は自由でいなさい。

 

 

「後に残る者」

 

「死んだ人達は貴方のもとから去ったのではありません。

ドアーを通り抜けて新しい生活に入っていくだけです。

その人達にとって死は大きな解放です。苦しいことでは

ありません。彼らにとって唯一の辛さは、この世に残した

人々が自分のことで嘆き悲しんでいることです。」天使の言葉)

 

 

    人が死ねば悲しく思うは人情です。妻や家族が亡くなればなおさらです。

    この天使の言葉は私の思いと同じです。

 

    私が先に死ねば、妻や子がいつまでも嘆き悲しんでいては困ります。

    早く普段の生活を取り戻してほしいものです。

 

    それよりも後の残る者のために、沢山の楽しい思い出を残してあげたい。

    一人で困らずに生きていけるようにしておいてやりたい。

 

死んでしまった自分よりも、残っている妻のことを心配しています。

   問題も苦労も悲しみも辛さも一杯背負っているのですから心配です。

  早く立ち直ってください。

 

          

「後に残る者」

 

誰もが死んでいく人のことを悲しく思うが、本当は残る人のほうが大変です。

残る人が妻であれば、私は妻のことが心配です。もし私が残る人であれば、

残った私が心配です。今後どう生きていけばいいかを考えていないからです。

 

自分ひとりで生きなければならない。ことを考えておく事が必要です。

今からその準備をしておくべきです。一つ目は早く精神的自立することです。

二つ目は豊かに暮らせることです(炊事)。三つ目は一人で楽しむことです。

そんなことが出来るようにしておくことです。