俺の家には母親がいない。2年前に交通事故で亡くなったからだ。それからというもの、父と8つ年上の兄とで家事を分担してきたけど、兄が就職してからというもの、実質的に俺一人で主婦業をこなしている。なぜなら、二人とも家事をするのがイヤで、残業をしてくるからだ。
それにしても、こんな理不尽な思いをさせられても、グレもせず、愚痴の一つもこぼさずにやってる俺って、健気で立派だよなぁと、つくづく自分を褒めてやりたいよ。
完璧主義の俺は、ほぼ完璧に家事も学業もこなしていたんだ。
「イオ兄ちゃん。僕も何か手伝うよ」
「いいから亜里は座ってろ。捻挫だからとバカにしてると、走れなくなることもあるんだぞ」
俺は制服の上着を脱いで、シャツの腕まくりをすると、野菜を刻み始めた。
「うわぁ、イオ兄ちゃんって、コックさんみたいだ。僕の兄ちゃんは、野球は上手だけど、料理は全然できないんだよ」
亜里はダイニングの椅子に腰掛けて、俺のすることをおもしろそうに眺めている。
「兄ちゃんって、野球やってるのか」
俺は手を止めずに訊いた。
「うん。じきエースなんだって」
「次期エースか・・・ピッチャーなんだな。いくつだ?」
「高校1年」
俺とタメか・・・どこの高校だろう?
「亜里はいくつだ?」
「僕、6年生だよ」
「そうか。母ちゃんがいなくて淋しいだろ?」
「淋しいけど仕方ないの。だって母ちゃんの身体が悪いのは、僕の所為なんだ」
ギョッとして振り返った俺に、亜里は泣き出しそうな顔で微笑んだ。
「僕を産むのに母ちゃん凄く無理をしたんだって・・・だから、サンゴのヒダリってのが悪くて、身体を壊したから、ずっと入院と退院を繰り返してるんだ・・・」
・・・・・・産後の肥立ちね・・・・・
「亜里はちっとも悪くなんかない」
俺がそう言うと、亜里はハッとしたように顔を上げた。
「でも!」
大きな目には涙が浮かんでいる。
「悪くなんかないんだ・・・身体が悪いなら、産むのをやめることだってできたのに、母ちゃんは亜里を産んでくれたんだろ? それって、亜里のことを殺してしまいたくなかったからじゃないか。父ちゃんだって同じ気持ちだったから、産むことを反対しなかったんだよ」
「・・・やめることって、できたの?」
亜里の声は小さく、震えていた。
「できたよ。だから、亜里が気にしなくてもいいんだ。それとも誰かが亜里の所為だって言ったのか?」
亜里はブンブンと、千切れんばかりに首を振った。