リビングに倒れてピクリとも動かない之を見た時に感じた、足元が崩れて奈落に落ちて行くような絶望を思い返すと、男だとか未成年だとか従弟だとかいうことは、とても瑣末なことに思えた。
今、之が生きていたことに感謝している史朗がいた。神の存在を信じる気持ちになったのは生まれて初めてだった。
「之・・・観念するから・・・だから早く元に戻ってくれ・・」
眠り続ける之の手を握り、史朗は神に祈った。
身体の方は順調に回復したが、傷ついて壊れた心は全く回復の兆しさえ見せないまま、之は史朗に連れられて退院した。問題行動があるわけでないので、自宅に戻って様子を見ましょうという訳だ。
「相変わらず無表情なんだな。まるでユキじゃないみたいだ」
元気が悲しそうにつぶやいた。
史朗もいつまでもバイトを休む訳にはいかないので、元気と茜の好意に甘えて日中の之の世話や家事を任せることになった。
「ユキ。おはよう」
茜が声をかけても之の反応はない。視線も合うことはない。以前はくるくるとよく変化した表情も、今はウソのように精彩を欠いていた。
「じゃあ、行ってくる。之のことよろしく頼むね」
史朗がバイトに出かけると、茜は炊事や洗濯を始めた。
「ユキ・・・夏休み中に良くならないと、俺達も面倒見られないぜ。早いトコこっちに戻って来いよ」
元気は家事ができないので、之に話しかけていた。
「お前がいつまでもそんなだと、困るのはお前が大好きな史朗さんなんだぜ。わかってんのか?」
聞こえてるのか、そうでないのか、之の表情は変わらない。元気はやりきれなくて口唇を噛んだ。
「ショックでこうなっちまったなら、もう一度ショック与えたらいいんじゃねぇ? とりあえずぶん殴ってみるとかさ」
之が反応しないのをいいことに、元気は言いたい放題だ。
「何バカなこと言ってんのよ。ぶん殴られてこうなった訳じゃないんだから、そんなことしてもダメに決まってるでしょ」
反対に茜に殴られて、元気は頬を膨らませた。
「ちぇっ。せっかくの夏休みなのにデートもできないなんてよ。もーグレてやるっ!」
そう言うと元気は茜の腕を引っ張って抱き寄せると、荒々しく口唇を重ねた。
「ヤ・・・だ・・・ユキが見てる・・・」
茜は腕を突っ張って抵抗したけど、力では適わなかった。
「話しかけたってコッチ見ねぇし、見られたって減るモンでもねぇじゃんか」
ヤリたい盛りの元気に点いた欲望の炎は勢いを増していく。茜のミニスカートの裾から手を差し込むと、ショーツの上からお尻を撫でた。
「そんな問題じゃないでしょっ! ケダモノ!」
茜は本気で抵抗した。容赦なく元気の股間を蹴り上げて床に沈めた。
「ただいま・・・って、元気クン具合悪いの?」
バイトから戻った史朗は、ソファの上でぐったりしている元気を見て、眉を寄せた。
「おかえりなさい。史朗さん。大したことないんですよ。そんなケダモノのことはほっといていいです」
身体に受けたダメージもさることながら、手酷い拒絶を受けて精神的にかなり落ち込んでしまった元気は、あれからずっと之と並んでソファの住人と化していた。
「いーんだ・・どうせ俺なんて・・俺なんて・・」
「あーもぉ、うっとおしいったら! 史朗さん、ソコの生ゴミ外に捨ててきてくれます?」
茜にそうまで言われて、元気は瀕死状態に陥った。
「おいおい・・・茜ちゃん・・・」
史朗は苦笑した。
「ただいま。之。気分はどうだ?」
答えは返ってこないのはわかっていたが、史朗は声をかけた。
「元気ったら、ぶん殴ったら元に戻るんじゃないかなんて、ふざけたこと言ったんですよ」
茜がチクると元気はふくれっ面になった。
「だって、ショックでそうなったなら、またショック与えたら元に戻るんじゃないかって思ったんだよ」
「ショック・・・?」
史朗はその言葉に何かひらめくものを感じた。