「へぇ、美容師か・・・かっけーじゃん。がんばれよ。健悟ならぜってーカリスマ美容師っての? ソレになれるって」
口先だけでなく、本心からそう思った。健悟の見た目は、俳優になればいいと思うくらい顔立ちが整っていて、モデルができるくらいスタイルもよかったが、意外と地道な考え方をする努力家だった。
「そういう和夏は将来どうしたいんだ?」
進路調査の用紙を前に、俺はため息をついていた。成績がイイ訳でもないし、健悟のようにしっかりとした将来へのビジョンもないので、とりあえず進学に○をつけたけれど、何もしたいことがなかったからだ。
「別に・・・多分サラリーマンかな・・」
俺の答えに健悟は苦笑していた。
「和夏らしいな・・・でも、まだ2年なんだし、これから見つけたらいいんじゃないか。大学に行ってから見つかるかもしれないしな」
「だといいけど・・・・」
健悟の言葉は一般論で、慰めにもならなかったので、俺は曖昧に微笑んでみせた。
結局、俺は大学3年のときに冗談半分で応募した大賞に佳作入選したことがきっかけとなって、卒業と同時に小さいながらもゲームソフトの会社に入社して現在に至る。
そういえば最近は逢ってもメシを食って俺の髪をカットしてから慌しくセックスするだけの繰り返しだったな。
倦怠期というのはあったのかなかったのかよく覚えていない。なぜなら、たとえ部屋の中で何も話さずにお互いが好きなことをしていても、気まずいと思ったことはなかったから。
俺は健悟の持っている雰囲気が好きだったし、一緒にいれば心地よかった。
でも、健悟もそう思っているとは限らない。10年も経てばいい加減飽きても仕方ない。
女房と畳は新しい方がいいって言うし、って俺は健悟の女房じゃないけど。
健悟のような職業だと自然と目も肥えるし、いろいろ出会いも多いだろうから、若いイイこを見つけたのかもしれないな。
そろそろ嫁を貰えだの孫の顔が見たいだのと、お互い親もうるさく言ってくるようになったし、不毛なこの関係を解消したくなったのかもしれない。
鏡を見れば、健悟に逢っていない所為で伸び放題になっているボサボサの髪に無精ひげ、疲れたような顔で苦笑を浮かべる俺が映っていた。
こんなむさ苦しい男、飽きられて当然だとは思ったが、なんだか悲しくなってしまった。
少し疲れたのかもしれない・・・・
和夏とつきあうようになって10年。俺から言い出したとはいえ、恋人なのだからもう少し和夏の方からも俺を求めて欲しいと思うのはわがままなことだろうか?
思えば最初から和夏は俺を拒まなかったが、本当に俺のことが好きなのか疑わしい。
断るのが面倒臭くてつきあうのを了承したような感じがしたが、多分それは正しいと思う。
優柔不断で流されやすい和夏のことだから、俺が別れ話を持ち出すと、素直に頷くだろう。
愛されている実感がなくて、少し距離を置いてみようと、忙しいのをいいことに連絡を取らなくなって1ヶ月。やはり和夏からはメールの1通も来なかった。
「どうしたんですかぁ? 朝っぱらからため息なんかついちゃって」
開店前の準備をしながら、俺は無意識のうちにため息をついていたらしい。去年入店した熊井雪姫(くまいゆきめ)が俺を見上げていた。
グラビアアイドルの誰かに似ていることが自慢で、メイクも仕草もその彼女をバリバリ意識しているらしい。
「ここのとこ忙しかったし、いろいろあって少し疲れてるのかもな・・」
相手をするのも面倒で、つい投げやりに答えた。
「大丈夫ですかぁ? 今日もたくさんの指名が入ってますよぉ」
俺が専門学校を卒業して『hair WISH』に入って8年目。カットを専門にしている俺にも最近では指名してくれる人がいる。
「倒れそうになったら助けてくれる?」
冗談でそう言ったら雪姫は真っ赤になった。
「あたしに健悟さんのヘルプなんてできる訳ないじゃないですかぁ。もぉ。いじわるぅ」
最近になってようやくシャンプーがまともにできるようになってきた雪姫は、ぷっと膨れた。
雪姫が俺に好意を持ってくれているのは、同僚の大関吏伽(おおぜきりか)から聞いて知っていた。そして、最近ではそれとなくアプローチされるようになっていたが、俺には和夏がいるし、語尾を延ばしてしゃべる騒がしい女はタイプじゃなかったので、気づかないフリをしていた。
本当は毎日でも和夏に逢いたい。抱きたい。
たとえ和夏の気持ちが俺に流されたものであったとしても、俺が10年前和夏に惹かれた時の気持ちは、年月を重ねても少しも色褪せることはなかった。
なのに、俺は何でこんなに疲れてしまったんだろう・・・・