「アヤちゃん、元気そうだね。彼らのおかげなのかな?」
生徒会室からグランドを眺めながら穂波は言った。
昨日一朗に殴られてアザになった頬を隠そうともせず、湊もまた学校に来ていた。元生徒会長の暇人、花井は湊の顔を一目見るなり吹き出してしまい、しばらく使いものにならないくらい笑い転げた。
「湊、拳の跡がクッキリだぜ。ここに来るまでに何人の女のコを失神させた?」
目尻の涙を拭き拭き、花井は尋ねた。
「聖ミカエルのコが悲鳴上げてた。『湊サマの麗しいご尊顔があぁぁぁっ!』って」
ふて腐れている湊に代わって、穂波が答えた。昨日は初めて見る壊れた湊にパニックに陥った穂波だったが、湊が立ち直って自分を取り戻した途端に、いつもどおりに湊をからかっていた。
「うるさいっ! 黙れ、穂波!」
湊の機嫌は地獄の底辺を這いずりまわっていた。自分はゆうべ、あんなに苦しい思いをして、まったく眠れなかったというのに、綾は何事もなかったかのような爽やかな笑顔でいるのだから。
昨日見た泣き顔が思い出される。
「ちょっと待てよ・・・・泣かせたのは僕で、それを癒したのがヤツら・・・なんだよな?」
一人で問答して、湊は頭を抱え込んだ。
「僕はサイテーな男だ! 友達以下じゃないか! どうやったら恋人に昇格できるんだっ!?」
眉間にシワを寄せている湊に、からかうのがクセになっている花井も穂波も顔を見合わせた。
「キューピッドが必要ですよね? 花井先輩」
穂波の提案に花井はウンウンと頷いた。
「原因の一つはお前にあるんだから、実行部隊はお前に任せたぞ。穂波。俺は参謀長ってことで・・・」
いつもニヤニヤしていて何を考えているのかわからない(と言うより、ボサボサに伸ばした髪が顔の上半分を覆っていて、表情が全く読めないだけ、という説もある)花井だが、今回のこの件についてはおもしろがっているのが手に取るようによくわかった。
「はーい。じゃあ、僕はアヤちゃんの親友のカズナちゃんから攻めたいと思いまーす」
小さな声で言った穂波に、花井の鬱蒼として髪の中でキラーンと目が輝いた。
「湊にバレないように上手くやれよ」
「ラジャー。早速今夜決行しまーす」
「成功の報告を待つ」
額を突き合わせてボソボソやっている二人に気づいた湊は『また僕をからかう算段でもしてるのか?』と思いつつ、窓の外の綾へと視線を巡らせた。
今日は長距離走なのか、綾はいつもよりスローペースでグランドの周りを走っていた。気の強そうな目で前方を睨むように見据えている。その表情はなんともストイックで、湊は気に入っていた。
「はい、杉本です・・・・あっ、竹村先輩? はい・・・・はい・・・いえ・・・・行きます。大丈夫です・・・・はい・・・・」
受話器を置くなり、和七はその場にへたりこんでしまった。
「誰にも内緒でって、どういうことだろ?」
時計を見ると午後7時半を回ったところだった。和七は紺色のダッフルコートを着込むと、穂波に指定された喫茶店に向かった。
こういうときには両親が仕事でいないというのはラッキーだと和七は思った。子供の頃は随分淋しい思いもしたけど、こんな時間に出かけることを咎められなくてすむのだから。
駅前の喫茶店に入ると、穂波が奥のテーブルから手を振っているのが見えた。
「ごめんね。こんな時間に呼び出したりして・・・ご両親に叱られなかった?」
遅くなった詫びを言おうとする前に穂波に謝られてしまって、和七は慌てて首を振った。
「両親とも夜の仕事なので、家には誰もいないから・・・大丈夫です」
ボソボソと恥ずかしそうに言う和七に、穂波はよかったと微笑んだ。
穂波は自分の笑顔が人にどう思われているか熟知していた。人を魅了せずにはいられないその微笑を向けられて、和七はドギマギしてしまったが、ウェイターが注文を取りに来たので、ホッとしてアメリカンを頼んだ。