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「じゃあ、俺帰る・・・サヨナラ、先輩」
「待って! 綾!」
 綾がそんなに名前に拘っていたとは、知らなかったこととはいえ綾を深く傷つけていたことに湊は気づいた。
「綾・・・お願いだ・・・最後に・・・もう一度だけでいい・・・・抱き締めさせて欲しい・・・・それで・・・諦めるから・・・」
 子どものようにポロポロ涙を流している湊に、綾はもう怖いとは感じなくなっていた。
「いいよ」
 そう言うと、自分から湊に抱きついた。
「綾・・・綾・・・」
 息もできないくらい強く強く抱き締められて、綾には湊の想いが痛いほどわかったような気がした。
「よかった・・やっとリョウって呼んでくれた・・・・俺、先輩のことキライじゃなかったよ・・・」
「綾・・・」
「和七に訊かれた時はわかんなかったけど、俺、先輩のこと好きだったんだろうな・・・・だって、こうされてるのイヤじゃないからさ・・・」
 綾が見上げると、湊は呆けたような表情をしていた。いつもの完璧な生徒会長の仮面がボロボロと剥がれていくようで、綾は思わず吹き出していた。
「先輩ってサイボーグかなんかだと思ってたけど、ちゃんと人間だったんだ。コレって一朗に殴られたんだろ? 折角のハンサムが台無しじゃん」
 綾が湊の頬に手を伸ばした瞬間、その手を握られて、情熱的なくちづけの嵐に見舞われた。
 突然のことで目を見開いたままだった綾だったが、湊の舌が忍び込んでくると観念したように瞼をおろした。
 今までの2回のキスは、噛みつくように奪われたもので、かなり暴力的だったので、綾がファーストキスに抱いていた淡い夢は無残にも打ち砕かれたが、今のキスは綾の心を優しく溶かしていった。
 銀の糸を引いて湊の口唇が離れると、綾はクタッと湊の胸に縋りついてしまった。足がガクガクして、一人で立っていられなかったのだった。
「綾・・・離したくない・・・・未練たらしい情けないヤツだと笑ってくれて構わない・・・やっぱり諦めきれないよ・・・・・お願いだ・・・僕のモノになってくれ・・・」
「先輩・・・・」
 綾は情熱的なキスで上気してしまった頬をピンクに染めながら、コクンと頷いた。
「先輩も俺のモノになってくれるなら・・・・」
 その瞬間、湊の気持ちは地獄の底辺から天国までを一気に急浮上した。盆とクリスマスと誕生日と正月が一度にやってきたような、代打で逆転満塁サヨナラホームランをかっ飛ばしたような、そんな信じられない奇跡が大挙して押し寄せてきたような気分だった。
 頭上では天使が団体でファンファーレを奏でているのが見える気がした。
「綾・・・大事にするから・・・きっと幸せにするから・・・僕を信じてついてきてくれ」
 綾の頬といわず瞼といわず、顔中にキスの雨を降らせながら、湊は熱く囁いた。
「先輩・・・ソレってプロポーズみたいだ・・・・・くすぐったいよぉ・・・」
 綾は居心地悪そうに身を捩った。
「そのつもりだよ。僕とずっと一緒にいてほしいと思ってるんだから」
 湊の言葉に綾は目を丸くした。
「先輩ならどんな女のコでも選り取りみどりなのに、なんで好き好んで俺みたいなオトコを選ぶの?」
 綾の疑問はもっともだったが、湊にしてみれば子どもの頃からチヤホヤされるのが当たり前で、年頃になればなったで好きな時にヤリたい放題できた。しかし、みんなが好きだと言ってくれるのは湊のルックス・頭脳・家柄・三男坊といったものだけなのだと気づいたのだった。
 女性不信に陥ってたところ、兄の陸と幼馴染の穂波がデキてしまって、同性でも恋愛の対象になるんだと認識を新たにしたのだが、湊に寄って来るものは異性だろうが同性だろうが、目的は一緒だったことに失望していたのだ。
「家柄やルックスを抜きにして、僕個人と向き合ってくれたから・・・」
 綾は首を傾げた。家柄ってなんのこと?という表情があどけなくて、湊は綾を抱く腕にまた力を込めた。そして、お日様の匂いのする髪に鼻先を埋めた。