「君、アヤって名前なの?」
湊に訊かれた綾は、ブンブンと首を振った。
「俺は1Aの高井綾といいます。アヤじゃありません」
「リョウ? なんでアヤ?」
湊の疑問に答えたのは、一朗だった。
「コイツの名前、綾織の綾と書いてリョウって読むんですよ」
「あぁ・・・読めるね・・・」
フムフムと頷いた湊に、綾はわかってもらえて嬉しくなった。
「本当は稜線の『稜』と書く予定だったんだ。それなのに父ちゃんがノギヘンとイトヘンを間違えたりするから・・・だから俺は・・・」
ギュッと拳を握り締めた綾の手を取ると、湊は微笑んだ。
「綾くん・・・そうやってムキになるから、みんなおもしろがって余計にからかうんだよ。知らんぷりしてればいいんだ。アヤって呼ばれても返事しないとかね・・・」
ねっ? と顔を覗き込まれて、綾はコクンと頷いた。
『この先輩なんかあったかい・・・・イイ人なのかな・・・』
綾がそう感じたのは、二人のこれからを暗示するものだったのか、その時には誰もわかる者はいなかった。
「失礼しまーす」
綾と一朗と和七、そしてあと3人ばかり同志が集まったので、ゴールデンウィークが明けてすぐ、綾は生徒会室を訪れた。
「やぁ、アヤ。集まったんだね」
湊のニコニコ笑顔に出迎えられて、綾の頬はりんごのように真赤になった。
「あ・・はい・・・俺を入れて6人ですけどイイですか?」
緊張して堅くなっている綾を微笑ましく思いながら、湊は綾に椅子にかけるよう奨めた。
「6人なら上等ですよね。会長」
湊に話を振られた会長、3年の花井はニヤニヤしながら頷いた。
「湊がそれだけイレ込んでる子猫ちゃんの頼みだ。無下に却下したりしたら恐ろしいからな」
「い・・・入れ込んでるって・・・・」
「子猫ちゃんって・・・・」
湊と綾の困惑の呟きが、デュエットでこだました。
「そんなんじゃないですよ・・・会長」
ムキになって否定する湊に花井は、チチチチチと人差し指を振った。
「松南のクールガイの凍りついた心を熱く溶かしてくれるのはダレかってね・・・」
「一体何なんです? ソレは・・・・」
湊の端正な顔が、怪訝そうに曇った。
「知らぬは本人ばかりなりってねー」
横から口を挟んだのは、湊の幼馴染で生徒会書記の2年の竹村穂波(たけむらほなみ)だった。
「何だよ。穂波まで」
湊は完全にムクレた。おかげで綾はすっかり蚊帳の外に追いやられてしまった。
「あの・・・俺、もう帰ってもいいですか?」
自分抜きで話が盛りあがっているようなので、おずおずと声をかけるとギャーギャーやっていた3人が一斉に振り返った。
「まだダメだよ」
「同好会運営について、いろいろ話さなきゃならないことがあるから、まだダメだよ」
「もっと君のこと知りたいから、まだダメだよ」
会長、湊、穂波の順に引き止められて、綾は面食らった。
「ちょっと待て、穂波。何だよ、もっと君のことが知りたいってのは」
湊がニヤニヤしている穂波を睨むと、会長が間に割って入った。
「湊、嫉妬は醜いよ。さーて、アヤ君。まずはグランドに使用についてだけど・・・・」
綾は会長から説明を受けながら、明日から始動する『陸上競技愛好会』が楽しみで、高揚してくる気持ちを押さえることができずにいた。その所為か、名前の読み方を訂正するのをすっかり忘れていた。