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「すいません。折角の非番なのに垣内さんにまで手伝わせてしまって・・・」
 善は急げとばかりにさっさと引越しの手配をした望は、その週末、たまたま非番だった垣内に手伝わせていた。そんなに荷物はないものの、人手があった方がいいということで、主に力仕事を押し付けていた。
「弓弦くんこそ、本当に望なんかと同居してもいいのか? やめたいなら今ならまだ間に合うぞ」
「なんだよ。ソレ! ゆづちんがそんなこと言う訳ないだろ!」
 望は子どものようにプーっと頬を膨らませた。
「先輩相手じゃ、言いたくても言えないんだよな。弓弦くん」
「そうですね・・・ノーコメントということにしておいてもらえますか」
 垣内の冗談に弓弦も軽口で返すと、望はヘソを曲げた。
「なんだよなんだよ! そんなに仲良しならお前らが一緒に暮らせばいいだろ!」
 完璧にスネてしまった望に、垣内はデコピンを食らわせた。
「いってー! ナニすんだよっ!! バカになったらどうしてくれる?」
 涙目で抗議する望に、垣内はゲンコツのオマケを加えた。
「お前がバカなことを言うからだろ。余計なことは言わなくていいから、さっさと運んでしまえ」
 望はおでこを押えて唸っていたが、垣内に向かってアッカンベーをした。
「ベーだ。ヒトミのいじわるっ!」
「ひとみ?」
 首を傾げる弓弦に、垣内は苦虫を噛み潰したような表情になった。
「垣内さんの名前は『ヒトミ』って言うんだ」
 望は垣内の秘密をバラすことで溜飲を下げたようだ。
 目の前のこわもての名前がヒトミというのは、どう考えてもミスマッチで、弓弦はどうリアクションしていいのか、困った。
「漢字では太陽の陽に登る海と書くんだ」
「陽登海さん・・素敵なお名前ですね・・・」
 『瞳』という漢字を思い浮かべて違和感を感じていた弓弦は、『陽登海』ならミスマッチじゃないと思った。
「俺の名前のことはどうでもいいから、さっさと片付けちまおう」
 そう言うと垣内は膨れている望に構わず、テキストが詰まった重いダンボール箱を、部屋に運び込んだ。





「一体どうしたってんだ、一矢。こんなプログラムミスを連発されたら商売上がったりなんだけど・・・・」
 秀悟の指摘に一矢は舌を打ちならした。
「すまん・・・」
「なんだよ、カズヤ。セフレと切れたくらいで、らしくない凡ミスが続いてるのか? ちゃんとヌいてる?」
 飛雄の揶揄にキレた一矢はマウスを投げつけた。
「うっせー、トビオ! 大きなお世話だ!」
「あぶねーな。ナニすんだよ! そうやってイライラすんのはタマッてるからじゃねーのかよ! くだらねーミスばっかりしてるくらいなら、トイレに行ってヌいてこいよな!」
 飛雄の言うことはいちいちもっともだったが、年下のクセに歯に衣着せぬ物言いにカチンときた一矢は、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
「文句あんなら外に出やがれ! くそガキ」
「おう、望むところだ! くそジジイ」
 睨み合って一触即発の二人の間に割って入ったのは、社長の秀悟だった。
「この忙しいのに二人とも熱くならないでくれる? お前らが殴り合ったらお互いがタダじゃ済まないんだよ。俺一人でこの仕事の山をこなせって言うなら、ちょっと考えさせてもらうけど」
 ナンバーワンホストもかくやという秀悟の笑みは恐ろしい威力で、頭に血が上っていた二人に頭から氷水を浴びせたように、一瞬で理性を取り戻させた。
「悪かったよ・・・そんなに怒るな。秀悟」
 こういうシチュエーションで笑顔の秀悟が、一番タチが悪いことを知っている一矢は、素直に謝った。
「わかってくれて嬉しいよ。一矢。飛雄もヒトの下半身問題にチャチャ入れてるヒマがあるとは思えないけど・・Sはどうなってるのかな?」
「・・今やってる・・・・」
 恋人に上司の顔で冷ややかな視線を向けられた飛雄は、尻尾を巻いた大型犬のようにすごすごと自分のパーテーションに戻った。
「畜生・・・今夜覚えてろよ・・」
 飛雄がつぶやいた言葉は幸運にも恋人には聞こえなかったようだ。聞こえてたなら飛雄はタダではいられなかったはずだから。