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「無防備に触らせてんじゃねぇよ」
 一矢の機嫌は悪いようだ。弓弦は引き攣ったように笑った。
「今のは不可抗力で・・・でも全然触れてないし・・・」
「俺が帰ってこなかったら、間違いなくアンアン言わされてただろうが」
 一矢に睨まれて、弓弦はシュンとなった。
「だって、一矢が仕事ばかりしてて淋しかったんだもん・・・」
「だから今日は1件だけだったから、デートでもしようと思って急いで帰ってきたんじゃないか」
「一矢・・・?」
 きょとんとしている弓弦の髪をくしゃっと撫でると、一矢はもう一度言った。
「デートしようぜ。秀悟から車借りてきたからドライブしよう」
 弓弦に反対する理由はなかった。


「安西先輩って、何台車持ってるの?」
 先日、引越しのために貸してくれたのはジープだった。今日はNSXが駐車場に停まっていた。
「3台。後はメルセデスだ」
 一矢の答えに弓弦は目を丸くした。
「そんなに儲かってるの?」
「まあね・・・」
 一矢はニヤッと笑った。


「ちょっと寒いな・・」
 秋も終わりに近づいて、海から吹いてくる風は大分冷たい。一矢は首をすくめている弓弦の肩をそっと抱いた。
「・・・恋人・・・なんだよね・・・」
 弓弦が小さく呟いた。
「恋人のキスしたんだから、紛れもない恋人だぜ」
 一矢はそう答えると肩を抱く手に力を込めて、弓弦にくちづけた。
「ん? どうだ?」
「なんだかまだ夢見てるみたい・・・」
 弓弦は熱に浮かされたように頬を上気させて呟いた。
「一緒に暮らしてるのに?」
 一矢は微笑みながら弓弦を見つめた。
「だって、ずっと憧れてきたから・・・」
「俺はもうアスリートじゃないぜ」
「それでも・・・・せん・・一矢は俺にとってのヒーローだから」
 弓弦は一矢に抱きついて胸に顔を埋めた。
「じゃあ、俺はずっとずっとゆづのヒーローでいられるように努力していくことを誓うよ」
 一矢の真摯な言葉に、弓弦は嬉しくてまた涙を溢れさせた。
「泣き虫・・」
「一矢のせいだよ・・・俺は一矢にしか泣かされないもん・・」
「あんな臭い言葉で泣かされてんじゃねぇよ。バカ」
 言葉とはうらはらに一矢の抱擁は優しかった。弓弦は幸せな気持ちで目を閉じた。
「ずっと恋人の距離にいて・・・」
 一矢からの答えは恋人のくちづけだった。