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「裕先輩、また逃げちゃったんですか・・・・?」
 恵史にキスして振り払って逃げ出したあの日から、裕はずっと恵史を避けていた。朝は遅刻ギリギリに駆け込んで待ち伏せをかわし、昼休みは立ち入り禁止の屋上や人気のない裏山に逃げ込んだり、並々ならぬ苦労を強いられる日々が10日近く続いていた。
「やぁ、子猫ちゃん。今日も逃げられちゃったのかい?」
 自称「子猫ちゃんの恋の応援団」(団員はたった一人ではあるが・・)の琢磨に声をかけられて、恵史はコクンと頷いた。
「僕・・・嫌われちゃったのかな? ご褒美をおねだりしたから、呆れられちゃったのかな?」
「ご褒美って?」
「中間テストで満点を取ったご褒美です・・・あの日から裕先輩に逢ってないから・・・」
「キス・・・してもらったの?」
 琢磨の問いに、恵史は左の頬を押さえて頷いた。
 その表情は戸惑いと恥ずかしさに彩られてはいたが、確かに恋する乙女のそれだった。
 琢磨は、恵史にそんな表情をさせる裕が憎らしくもあり、羨ましくもあった。
「よしよし。おニイさんがキューピットになってあげよう。悔しいけど、子猫ちゃんがそんなにキレイになったのは、熊谷の所為なんだろうからね」
 ウインクをした琢磨に窓際に連れていかれた恵史は、首を傾げた。
「な・・中村先輩・・・・?」
「押してもダメなら引いてみろって言うだろ?」
 屋上から細く煙が上がっているのが見えるから、裕がいるのだろう。
「子猫ちゃん、ちょっとガマンしてね」
 そう言うと、琢磨は恵史を抱き締めた。クラスメートがギョッとした顔で見ているのがわかった。
「や・・やだ・・・離してください・・・」
 抵抗する恵史を簡単に封じ込めて、琢磨は囁いた。
「熊谷に見せつけてやるんだよ。大人しく俺の言うとおりにしてな」
「えっ? 先輩が見てるんですか?」
「そうだよ。だから、僕とラブシーンを演じてね」
 恵史がコクンと頷いたので、琢磨は思う存分華奢な身体を抱き締めた。
「ねぇ、このままキスしてもイイ?」
「だ・・・ダメですっ!」
 真赤になって恵史が拒否したので、琢磨は少なからず傷ついた。
「じゃあキスするフリだけ・・」
 琢磨の口唇があと1センチで触れるというところまで近づいたので、恵史は思わず目を閉じた。
 屋上でぼんやりと煙草をふかしていた裕は、何気なく目を向けた先での光景に頭に血が昇った。
『あんなにつきまとってたくせに、ちょっと冷たくしたぐらいで鞍替えしやがって・・・中村の野郎・・俺だって触れたことのない口唇に・・・』
 そう思って裕は愕然となった。
『嫉妬してるって言うのか・・・?』
 逃げていた自分の気持ちに気付いた裕は、その場にズルズルとへたり込んでしまった。


「中村先輩・・・もういいですか? 僕恥ずかしいです・・・」
 涙目で見上げられて、琢磨は渋々恵史にまわしていた腕を解いた。
「ちぇっ。ホントはもうちょっと抱っこしていたかったけど、これぐらいでいいでしょ。役得だったしね」
「裕先輩はどこに?」
「内緒。俺がバラしたって知られたら、命がなくなるしね。でも、今頃はきっと嫉妬の炎に焼かれてると思うよ」
「嫉妬?」
「じゃあ俺は帰るから、ここで待ってな。熊谷はきっと戻って来るから」
 そう言うと、琢磨は遠巻きに見ていたギャラリー全員を追い出して、ウインクをして帰っていった。