「裕・・・」
恵史は裕の胸に頬を埋め、吐息だけで恋人の名前を囁いた。嬉しくても涙が出ることを生まれて初めて知った。
「泣くなよ。お前に泣かれると、どうしたらいいかわかんなくなっちまう。恵史・・・頼むから泣くなってば・・・」
「だって・・・先輩ったら、優しいんだもん・・・」
「裕って呼べよ。こんな時に先輩だなんて、無粋だな」
ふくれる裕に、恵史は泣き笑いの表情で見上げた。
かわいいそばかすを濡らす涙を、裕は口唇を寄せて吸い取り、そのまま白桃のような頬を辿り、口唇をしっとりと塞いだ。
「・・・・っ・・ん・・・」
裕の強引な舌が、恵史の口内を侵略し始めた。逃げ惑う恵史を追いかけ、優しく絡め取り誘うように吸い上げた。腕は恵史の背中から肩をすっぽりと覆い、逃げられないように拘束していた。
身を捩ることも叶わず、いいように蹂躙されている恵史は、もう泣いてはいなかった。うっとりと夢見心地で裕に身を任せていた。
「僕がご褒美をおねだりするような、浅ましいマネをしたから、裕先輩に嫌われたんだと思って・・・中村先輩はそんなことないって言ってくれたけど、僕は・・・」
恵史はポツポツと話しながら、また泣き出した。裕は大きな手で柔らかい頬を包み込むと、震える瞼にくちづけた。
「ゴメンな・・俺怖かったんだ。恵史の真っ直ぐで一途な想いが・・・俺達男同士だし、お前は真崎産業の御曹司だし、うまくいくはずないと思って・・・・逃げちまった」
「裕先輩・・・」
「でも、中村がお前にキスしてるのを見ちまったとき、はっきりわかったよ。もう逃げられないくらい、お前に囚われちまってる自分の気持ちに・・・お前、初めてだったんだろ? なのに乱暴にしてゴメンな」
「そう思うのなら、今度は優しくしてください・・・」
囁くように言って、頬を染めた恵史に、裕の鼓動が跳ね上がった。
「誘ってるのか?」
そう問いかける裕の声は欲望に掠れていた。
その日の夕方。真崎邸の離れになっている恵史の部屋に、裕はいた。食事も部屋に運んでもらって、まるでお見合いでもしてるかのように、お互いのことをあれこれ話しながら、二人の時間を過ごした。
どれくらい長い時間、話し続けただろうか、ドアをノックする音に恵史は立ちあがった。
「恵史、いるんだろう?」
「恵太兄さまだ」
ドアを開けると、恵史は5つ年上の兄を招き入れた。恵史によく似ているが少し背は高いようだ。
「やあ、始めまして。熊谷君だね? 噂はかねがね恵史から聞いているよ。僕は恵史のすぐ上の兄の恵太だ。よろしく」
恵太に右手を差し出されて、裕は慌てて立ち上がり、握手した。
「く・・熊谷です・・・こちらこそよろしく・・・」
長身をかがめてボソボソと小声になってしまったのは、恵史をレイプしてしまった後ろめたさだ。
「本当に恵史の言った通りだ。大きいねぇ、熊谷君」
恵太はそう言うと、裕に抱きついた。
「えっ!?」
「ダメーっ! 兄様ったら、僕の裕先輩なんだからね!」
恵史は裕に抱きついている恵太に取りついて、引き剥がそうと必死になっている。裕はなんでこうなっているのか訳がわからず、硬直していた。
「取ったりしないよ。安心おし、恵史」
裕を解放し、恵史に向き直った恵太は、溺愛する弟の頭を撫でた。
「今度恵史を泣かせたら、真崎の持てる力の全てで報復するから、そのつもりでね」
物騒な言葉を残し、恵太は母屋に帰っていった。
恵太は微笑を浮かべていたが、目は笑っていなかった。今更ながら裕は、とんでもない相手が恵史のバックに控えているのに気付いた。