ガラスのローテーブルを挟んでソファに腰を落ちつけると、雅人が先に口を開いた。
「どうして僕なの?」
「入学オリエンテーションがあった日・・・・雨上がりで、紙袋が破れて教科書を水たまりにぶちまけてしまって、途方に暮れてた俺を助けてくれた・・・・」
琢磨の言葉に、雅人は手を打った。
「思い出した・・・・購入したばかりの教科書を濡らして、泣きそうな顔してた新入生がいたこと・・・」
「ソレが俺。あの時、あったかいカフェ・オレを淹れて慰めてくれた優しい人に心奪われたんだ」
「中村君・・・・」
「最初、優しい人だなと思った。おしぼりで汚れた教科書をキレイにしてくれている横顔を見てて、綺麗な人だなと思った。いつ来ても優しくしてくれて、それは俺にだけじゃなかったけど、俺は雅人さんのことが好きになったんだ」
真っ直ぐに見つめてくる視線を逸らせずにいたら、琢磨の手が頬に伸びてきた。
「雅人さん・・・・好きだ・・・・」
気付いた時には琢磨にくちづけられていた。
「ちょっ・・・ちょっと待って! 僕はまだ君の気持ちに応えるなんて言ってないのに・・・」
殴られてもいいやと思ってしかけたキスだったが、雅人の様子は拒絶のそれでなく、琢磨はもう少し踏み込んだ行動に出た。二人の間を隔てるローテーブルを跨ぐと、雅人の隣に腰を下ろした。
「好きな女でもいるの?」
真赤な顔で雅人は首を左右に振った。
「10年前に離婚してから、好きになった女性はいないよ」
「えっ・・・雅人さんって、バツ1だったの?」
思いがけない答えに、琢磨は驚いた。
「残念。バツ2だよ」
「えぇっ!? マジっ!?」
ますます思いがけない答えに、琢磨は頭を抱えた。
「どうして別れちゃったの?」
「そんなこと聞いてどうするの?」
「だって、知りたいじゃん・・・好きな人のこと・・・・」
雅人はため息をつくと、ポツリポツリと語り始めた。
「最初の結婚は19で、学生結婚だった。同じサークルのひとつ先輩で、結婚願望が強い人だったから、僕は彼女の願いを叶えてあげたいと思ったんだ」
雅人は目を伏せているが、琢磨は一言も聞き漏らさないように、ずっと横顔を見ていた。
「ままごとみたいな結婚生活は、2年ももたなかったよ。彼女から離婚を切り出されたから、僕は黙って判をついた」
「そんな・・・彼女が望んだ結婚だったのに?」
まるで自分が離婚を切り出された夫のような表情で、琢磨は言った。
「うん・・・彼女は『貴方は自分から私に何かしてやろうとは思わなかった?』って言ったよ。僕は彼女の思うとおりにしてあげることを愛情だと思っていたけど、彼女にはそれじゃ物足りなかったみたいだ」
「その人は今どうしてるの?」
「ん? 今は再婚して幸せになっているよ。こっちに里帰りしたときには、家族でこの店にも立ち寄ってくれるしね」
「じゃあ、その次は?」
琢磨が尋ねると、雅人の表情が曇った。
「25の時、会社の後輩の女のコと、所謂できちゃった結婚だった・・・・」
「えっ、じゃあ、子どもがいるの?」
もう何があっても驚かないぞと思っていたのに、想像以上の答えに琢磨は素っ頓狂な声を上げた。
「いないよ・・・・入籍してスグに彼女は流産したんだ。それからだ・・・・彼女の心が壊れ始めたのは・・・」