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「へぇ、由良くん戻ってきてたの?」
 帰ってから母、良美(よしみ)に訊いてみると、本当に橘は隣に住んでいたことがあるらしい。
「大人しいコだったけど、随分大きくなったでしょうね。一度逢ってみたいわ」
 良美は当時を思い出したのか、どこか遠い目で呟いた。
「建機はいつもおねえちゃんよりも、由良くんに遊んでもらってたのに、本当に覚えてないの? 引っ越す日にはすがり付いて大泣きして、熱まで出して1週間も寝込んだのよ」
 建機には5つ年上の姉、敦美(あつみ)がいる。
良美の話によると、男勝りの敦美は弟の子守をいつも同級生で隣家の由良に押し付けては、遊びに出かけていたらしい。
 由良は文句も言わずに建機と遊んでいたし、建機も姉よりは由良に懐いていたそうだ。
「その頃の写真を見れば少しは思い出すんじゃない?」
 良美にそう言われて、建機は奥の押入れから古いアルバムを引っ張り出した。


「は・・・? ダレ・・・コレ・・・」
 いかにも悪ガキそうな、泥だらけで満面の笑みを浮かべている建機の隣には、色白でショートカットの可愛い年上の女のコが写っていた。
「何言ってんのよ。これが由良くんじゃない」
 そう言われて良く見ると、確かにそのコは青い靴にズボンをはいている。
 しかし、どう見ても今のダサい橘と同一人物には思えなかった。
「同姓同名の別人じゃねーの? コレをどうしたらアレになるんだよ?」
 どうにも納得できなくて、建機は口唇を尖らせた。どこかで逢ったことがあるとは感じたけど、何か違うような気がする。
 良美が言うように懐いていたとしたら、どうして写真を見ても思い出せないのだろう?
 逢ったことあるような気がしたのに、何一つ思い出せないことがじれったくて、建機はアルバムの中で微笑む幼き日の由良を、長い間睨みつけていた。



 桜園高校では、3年生になると受験対策に、理系と文系でクラス分けされる。建機達1組は理系クラスで、男女の比率が2対1で男の方が多かった。
 橘は選択化学の授業で週に2度、教壇に立ったが、新卒の割に教え方が上手くて、授業はそれなりに楽しいものだった。
「それでは、ここまでで何か質問はありますか?」
 授業の最後に橘は必ずそう訊く。
「はーい。センセー、恋人はいますかぁ?」
 クラスでもお調子モノの範義が手を挙げて質問した。
「な・・・っ!?」
 橘はみるみるうちに真っ赤になって、口をパクパクさせた。その反応が面白くて、範義はますます悪乗りしてしまった。
「もしかして、童貞なんですかぁ?」
 ドッと笑い声が起こる。
 質問のあまりの内容に、橘の顔色は真っ赤から真っ青になり、教卓の上の教科書やノートやらを慌ててまとめると、終礼もそこそこに、逃げるように教室を出て行ってしまった。
「おい・・・下品だぞ・・・」
 建機は呆れたような視線を範義に向けた。
「いいじゃん。それとも幼馴染のお兄ちゃんをいじめたらダメとか言う?」
 そう突っ込まれると、建機は言葉を失った。
「なんだ。まだ思い出せないんだ?」
 範義はニヤリと笑った。