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「センセー。どうして何も答えてくれねーの?」
 建機が一歩近づく度に橘が一歩下がる。しかし気がついたときには、薬品庫を背にこれ以上下がれない位置にまで、建機に追いつめられていた。
「だっ・・・だって、こんな格好でもしてなきゃ、生きていけなかったんだ!」
「は?」
 橘が叫んだ意味がわからなくて、建機は目を丸くした。
「変態に誘拐されそうになったり、クラスメートに圧し掛かられたり、大変だったんだ。だから・・・」
 橘は俯いてしまった。
「ちょ・・・ちょっと待ってくれ・・ じゃあ、このダサい格好って、ワザとなのか?」
 目を丸くして訊いた建機に、橘は頷いた。
「ちょ・・マジかよ・・」
 眩暈を感じて、建機は右手で目を覆った。


 なんとなく気まずい空気が流れたが、それを断ち切ったのは、建機の問いかけだった。
「あのさ、かーさんから聞いたけど、センセーが隣に住んでた頃、いつも可愛がってくれたんだって?」
 少し落ち着きを取り戻したらしい橘は無言で頷いた。
「俺、どんな感じだったの? 教えて、センセー。俺、全然覚えてねーんだよね」
「やんちゃ坊主だったよ」
 あっさりと言われて、建機はヘコミそうになった。
「そんなこと、言われなくてもわかってるよ・・・そうじゃなくて、どんなことして遊んでたのかとか、そういうことだよ」
 ふくれる建機は、大きくなったとはいえ昔の面影を残していて、橘はクスッと笑った。
「僕より背は大きくなったのに、全然変わらないね。たっくん」
 まるで、当時の自分にするように頭を撫で撫でされた建機は、苦虫を噛み潰したような表情になった。
「もう、あの頃の俺とは違うんだから、いつまでも子ども扱いすんなよ!」
 頭を撫でる手を払い除けると、橘はハッと目を瞠って「ごめん・・・」と謝った。
「そうだね。もうたっくんは高校生なんだよね。あの頃の僕より年上になったんだもんね・・」
 淋しそうに微笑んでそう言うと、橘は目を伏せた。
「センセー・・・あの・・」
「絵本を読んだり、公園で砂遊びをしたり、遊具で遊んだり、そんな普通のことをしてただけだよ」
 その突き放したように言い方に、急に橘との間に溝ができたように感じて、建機は困惑した。
「センセー・・ごめ・・」
「さぁ、もう帰りなさい。下校時間だよ」
 謝ろうとしたのに、きっぱりと拒絶されてしまい、建機にはもう何も言えなくなってしまった。


 割れた試験管を始末して、翌日の授業の用意をしてから帰宅した橘は、ベッドにごろんと横になると、目を閉じた。

『ゆらくん。だーいすき』
 そう言っていつも抱きついてきた、やんちゃなたっくんは、もういない。
『いっちゃヤダぁ! ゆらくん! ゆらくん!』
 引っ越す日。由良にしがみついて大泣きして、みんなを困らせたたっくんは、12年経って見違えるくらい立派になっていた。
『僕もたっくんも大きくなったらまた逢えるから』
 そう言って宥めた由良に、たっくんはボロボロ涙を流しながら頷いた。
『だれともケッコンしないで。おとなになってまたあえたら、ボクとケッコンして』
 可愛いプロポーズに、当時は深く考えずに由良は頷いた。
『うん。約束しよう』
『やくそくだよ。ぜったいだよ』
 たっくんは念を押すと、頷いた由良に押し付けるだけのキスをした。
 驚いて目を白黒させた由良に、たっくんは泣き笑いの表情を浮かべた。
『やくそくしたからね!』
 お日様の匂いのするたっくんを抱き締めて、由良も少し泣いた。