「どうして逃げられたの?」
穏やかな口調で尋ねられて、安達の激情は水を掛けられたように静まった。
実の父親より、叔父の方がよほど父親らしかった。参観日にも運動会にも、来てくれたのは実の父でなく叔父だった。心から慈しんでくれたのは、父でも母でもなく、目の前にいる叔父だけなのだ。だから安達は、叔父の前だけでは本来の自分をさらけ出すことが出来た。
「キスしたら、ダメだって・・・・ 好きだって言っても、彼方は友達だから、好きだっていうのは『唯一』の誰かにしか言っちゃダメだって・・・・」
まるで子供に返ったような泣き出しそうな表情で、悔しそうに口唇を噛み締めながら安達は呟いた。
「おやおや、いまどき珍しいネンネちゃんだねぇ。滋はそんなお子サマと恋愛ゴッコをしたいんだ?」
「そうだよ。だから、どうしたら落とせるか教えてよ。叔父さん」
からかうような口調で訊かれて、拗ねて口を尖らせた安達に、稔之は愉しそうに答えた。
「教えない。だって滋はその過程を楽しんでるんじゃなかったのかい?」
その一言で、安達は冷静さを取り戻した。
「・・・・そうだった。こんな風にてこずるのが初めてだったから、ちょっと混乱してたんだな」
「滋・・・」
「叔父さん、ありがとう。帰って対策を練ることにするよ。そうだよ。彼方はダメ、だとは言ったけど、イヤ、だとは言わなかった」
自信を取り戻した安達は、意気揚々と引き上げていった。
「早く自分の本当の気持ちに気づけよ。お子サマ」
稔之は、カウンターの上の安達が口をつけなかったミルクのカップに視線を落とすと、ポツンと呟いた。
放心したようにベッドに横たわる彼方の耳に、電話のベルが聞こえた。
のっそりと起き上がり、机の上に投げ出していた携帯を取り上げてボタンを押した。
「はい。星野です」
『彼方・・・さっきはゴメン・・・』
元気のない安達の声が聞こえてきて、彼方は手の中の携帯をグッと握り締めた。
「滋さん・・・」
『このところ体育祭絡みで執行部の方が忙しくて、ちょっとイライラしてた。やつ当たりしてホントにゴメン。俺、どうかしてたんだ。彼方・・・もう俺のこと嫌いになった?』
「き、嫌いだなんて、そんなことっ・・・」
慌てたように答えた彼方の返事を聞いて、安達は安心した。
『よかった・・・もう、絶対に嫌われたと思ってたから・・・・』
沈んだような声が、いつもの優しい調子に戻って、彼方もホッとした。
「あのっ、滋さん。よ、よかったら明日からでも勉強をっ、そのっ、見て欲しいんですけどっ・・」
『あんなことした俺でもいいの?』
安達に突っ込まれて、彼方は一瞬言葉に詰まった。
「だ、だって、あれは、どうかしてたからなんでしょう? そ、それに、僕だって生意気なこと言ったって、思ってたから・・・」
『優しいんだね。彼方。そんなこと言われたら俺、つけ込んで甘えちゃうよ』
からかうような安達の軽口に、彼方も軽口で応えた。
「僕の方が甘えてるんです。だって中間テストでのヤマかけをお願いしてるんですから」
『彼方・・・ わかった。俺の負けだ。明日の放課後、図書室で。OK?』
「はい、OKです」
「ふふん、ちょろいもんだ」
携帯を胸ポケットにしまいながら、安達はほくそ笑んだ。
「お子サマをとりこにするデートコースで、喜ばせてやるか」
あと3日でゴールデンウィークに入る。