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「ホラ、これはひっかけだよ。昨日も同じような問題で躓いただろ? 彼方は本当に物理が苦手なんだな」
 安達のお勧めの問題集と格闘しながら、彼方は涙目になっていた。
「だってぇー」
「だってもひったくれもないでしょう? 明日はゴールデンウィーク前日で、執行部の会議があるから勉強を見てあげられないんだからね。しっかり理解して帰らないと、赤点取っちゃうよ」
 昨日今日と、放課後は図書室で勉強を教えてもらっていた彼方だが、数学はそこそこ出来るのに物理だけが壊滅状態で、安達に基礎から徹底的に仕込まれていた。
『スパルタでビシバシ』と言っていた通り、安達は容赦無い教師ぶりで彼方を泣かせた。
「はい。そうだね。合格」
 やっとのことで本日の合格をもらった頃、最終下校時刻の放送が掛かった。
 彼方達を遠巻きに見守っていた面々も、ぞろぞろ帰り支度を始める。
「滋さん。それって購買の100円のシャープペンですよね?」
 胸のポケットにプラスチックのシャープペンを挿そうとしていた安達は、ふと手を止めた。
「そうだけど、これがどうかした?」
 ブルーのプラスチックの安物っぽいそれが、安達の長い指に似つかわしくなくて、彼方は口を尖らせた。
「滋さんにはそんな安物似合わないって感じだから。すっごいミスマッチだー」
 ブウブウ言ってふくれている彼方を、安達は目を丸くして見ていた。
「そんなにヘンかな? 僕は割と粗忽者でシャープペンでも教科書でもすぐに何処かに置き忘れてしまうんだ。まあ、教科書やノートには名前が書いてあるからすぐに戻ってくるけど、ペンはね・・・だから、週に2~3回は購買に走ってるんだよ」
「嘘・・・?」
 今度は彼方が目を丸くする番だった。
「完全無欠の滋さんが、そんなそそっかしい人だったなんて・・・」
「そそっかしいなんて、随分な言い種だね」
 ジロッと睨まれて彼方は首を竦めた。
「ごめんなさい。だって、嘘みたいなんだもン」
 シュンとして上目遣いに見上げる彼方の額を長い指で突ついて、安達はニッコリ微笑った。
「怒ってないよ。さあ、帰ろう」


 ゴールデンウィークの初日。みどりの日。午前9時半にK駅で待ち合わせた彼方と安達はまず、稔之の店『カノン』に向かった。
「彼方は朝ご飯食べてきたかい?」
 安達に顔を覗き込まれて彼方はフルフルと首を振った。
「休みだから父さんも僕も寝坊しちゃって・・」
 目覚めた時は既に時計の針が9時を指していて、彼方は大慌てで支度をしてバスに飛び乗ったのだった。
「だろうね。ホラ、寝癖」
 彼方の右後頭部で跳ねている髪の毛をつまんだ安達はクスクス笑った。
「えっ、嘘っ?」
 慌てて頭を押さえる彼方は真っ赤になっていた。
「うー。こんな状態でバスに乗ってたんだ」
 そう言えば、後ろの方で女の子達がクスクス笑っていたような気がする。
「オカメインコみたいでカワイイよ。ホッペも赤いし」
 長い指でホッペをつつかれた彼方は、プーッと膨れて安達を睨んだ。
「ひどいよ。滋さん」
「何で? カワイイって誉めたのに」
 まん丸に膨れている彼方の頭を胸に抱き込んで、安達は髪を撫でた。
「うっ、うわぁっ。滋さん」
 ギュッと抱き締められた彼方が暴れ出すと、安達は両手をバンザイの形に上げた。
「ごめんごめん。からかって悪かったよ。だから、そんなに毛嫌いしないでくれよ」
「毛嫌いなんて・・・・」
 言葉の割に傷ついていないような軽い調子で安達は言ったのだが、彼方は叱られた子犬のようにシュンとなって俯いてしまった。
「彼方。おなか減ってるだろう? 叔父さんにモーニングセットを頼んであげるから、機嫌なおして。ね?」
 そう言うと安達は彼方の手を取って『カノン』のドアを開けた。