13

「彼方・・・そんなに俺とキスするのがイヤなのか?」
 安達の問いかけに、難問と格闘していた彼方は、キッと顔を上げた。
「滋さんはズルイ。キスなんて、取引に使っちゃイヤだよ。僕は卑怯だから・・・だから、滋さんとキスしてラクな道を選んでしまいそうになる。でも、僕はオトコで滋さんとは恋人じゃないから、やっぱりキスしちゃダメなんだ」
 あくまでも友人という関係にこだわる彼方に、安達は舌打ちしたい気持ちになった。
「どうして? 俺はこんなズルイことをしても彼方とキスしたいと思ってるのに・・・」
 なかなか落ちてこない彼方に、いい加減安達も痺れを切らしてきていた。
 ゲームを楽しむつもりだったが、安達は割と気が短い方で、何事も長続きするタイプではなかったのだ。
「僕、帰ります」
 おもむろに問題集を閉じると、彼方はテーブルの上に広げていた教科書や参考書と共に鞄に片付け始めた。
「彼方っ!」
 逃げるように部屋を出て行こうとする彼方を呼びとめ、安達は彼方の腕を掴んだ。
「ごめん。悪かったよ。もうあんな事言わないから、帰ったりしないでくれ」
「滋さん・・・」
 顔を上げると、安達は何かを耐えているような、苦しそうな表情をして目をきつく閉じていたので、彼方は強張っていた身体から力を抜いた。
「彼方、頼む。俺を置いて行ったりしないでくれ」
 歯を食いしばるように呟いて、安達は彼方を抱きすくめた。
「行かないでくれ。淋しいんだ。彼方・・・」
「滋さん・・・・」
 逞しい腕に抱かれて彼方は思い出していた。
 安達の生い立ちを、淋しい身の上を。
「ううん、僕の方こそごめんね。勉強見てもらってるくせに、偉そうなこと言ったりして。悪いのは僕の方なんだよね。ホントにごめんなさい。これからは怠けてないで、ちゃんと問題解くから」
 本当に反省しているのか、殊勝に謝る彼方はおとなしく安達に抱かれていた。
 安達の胸に顔を押し付けられていたので彼方にはわからなかったが、安達はこの上なく凶悪に微笑んでいた。
(まったく、ネンネは手間がかかっていけないな)
 なかなかなびいてこない彼方にかなり焦れてはいたが、すぐに冷静さを取り戻した安達は、初めて味わうじれったさを楽しむことに決めた。
 今までは一人の誰かをこんなに追いかけた事は無かった。その気になればすぐに追いついたし、普段は追いかけられる方だったのだから。
(なかなか捕まらない鬼ごっこのオニもまた愉しってね)
「彼方。俺はこのまんまでも一向に構わないけど、どうする?」
 ギュッと腕に力を込められて、彼方は我に返って逃れようともがいた。
「うわっ! はっ、放してっ。滋さんっ」
 我に返った彼方が再び暴れ始めたので、安達はやんわりと縛めていた腕を緩めてエモノを解放した。
「さっきの問題が終わったら、外に出てデートしよう。そろそろおなかも減ってきただろう?」
「えーっ、嘘っ。もう一問解かなきゃなんないの? やっぱり滋さんはオニだ。今日は勘弁してもらえると思ってたのに」
 口唇を尖らせて抗議する彼方に、安達はバードキスを落とした。
「彼方が全然俺の気持ちを受け入れてくれないから、ちょっとした意趣返しさ」
「まっ、またキスなんかするっ!」
 イジワルッ、と彼方は両手で口をガードしながら(既に手遅れだが)ズリズリと後ずさった。
「彼方。逃がさないよ。あとたったの一問じゃないか。もうキスしないから、さっさと片付けちゃいなさい。でないとこのまま二人餓死しそうだ」
「はい・・・」
 彼方は再びシャープペンを手にすると、解きかけの問題に取り組んだ。