「嘘っ! 何で?」
翌日、寝不足で重い足を引きずるように登校した彼方を待ち受けていたのは、安達からのメッセージを託っていた、同じクラスで生徒会会計の花巻だった。
「何でって言われても、俺だってわかんねぇよ。今さっき、いきなり電話掛けてきて『伝えろ』なんだから。ンな訳だから直接滋さんに訊いてくれる? 昼休みに生徒会室だよ。俺はちゃんと伝えたからな。バックレんじゃないぞ。後で俺が滋さんに叱られンだからな」
予鈴がなったのを幸いに、自分の席に戻った花巻の後姿を呆然と見ていた彼方は、前田に肩を叩かれて、ビクッと振り返った。
「昨日、何があった?」
そう言って覗き込んでくる顔は、好奇心に輝いていた。
「うるさい・・・」
いつもは少年らしく高めの彼方の声が、低く掠れているので、前田は何があったのかを、一瞬にして悟った。
「イヤァン。星野クンってば、もう清らかな身体じゃなくなったのねぇーっ! ひどいわっ、ワタシというものがありながらっっ」
ひっくり返った声で、オネエ言葉で叫んだ前田は、明らかに人の不幸を喜んでいた。
遥といい、前田といい、彼方の廻りの人間にはロクなのがいない。彼方は諦めの境地で大きなため息をついた。
「星野、ホントに会長にヤラレたのか?」
おそるおそる声を掛けてきたのは、松永という新聞部員だ。
「ヤラレたって、どういう意味だよ。ふざけた事言うと殴るぞ」
彼方が机の下で拳を握り締めた時、一番前の席から振り返った花巻が口を挟んだ。
「星野はヤラレてないよ。あの時生徒会室には俺いたからさ。保証するぜ」
思いもかけない助け舟に、彼方は目を見張った。
(見られてた?)
そう思った彼方は、自分の顔から血の気が引いていくのを感じた。
本鈴がなっている。
しかし彼方の意識は、闇へと吸い込まれていった。
『倒れた?』
一時間目が終わって、花巻は安達の携帯に連絡を入れた。
「よっぽどショックだったようですね。俺に知られていたっていうのが」
『そうか・・・』
低く一言呟くと、安達は保健室に向かって走り出した。
2時間目の始まりのチャイムが鳴っているが、サボることにしたらしい。
唐突に電話を切られた花巻は、フレームレスの眼鏡の奥の切れ長の目を眇めた。
(今回は・・・うまくいくかな?)
冷徹な氷のプリンスが本気になったのが、オトコだったなんてまさか・・・とは言うまい。
花巻は、次の時間の教科書とノートを机の上に揃えて出した。彼方の分のノートをしっかり取っておいてやって、安達に恩を売っておくのもいいな、と思ったからだった。
保健室にやって来た安達は扉を開けようとしたが、内側から開いたので咄嗟に飛びのいた。
「あら、安達君。どうかしたの?」
中から出て来たのは三十路を過ぎて十数年の養護教諭だった。クッキーの箱を抱えていたので、いつものように古典のお局とオヤツの予定なのだろうと、容易に想像できた。
「少し頭痛がするので来たのですが・・・でも先生、何か御用がおありになるようでしたら、勝手に薬を飲んで寝ていますけど・・・」
優等生の笑みを浮かべると、彼女はホッとしたようにうなずいて言った。
「じゃあ、そうしてもらえるかしら。手前のベッドには貧血の2年生が寝ているから、窓際のに寝てちょうだいね」
病人がいるのにオヤツ&井戸端会議の方が大事らしい養護教諭は、安達の額に触れて熱がないのを確かめると、薬を渡してそそくさと待ち合わせのカフェテリアに出かけていった。
「願ったり叶ったりだな」
シニカルな微笑を浮かべると、安達は『席を外しています』のプレートをドアのノブに掛けて、内側からカギを掛けた。
少し黄ばんでいる仕切りのカーテンを開けると、彼方はベッドの上に起き上がってボーッとしていた。
「星野君。起き上がったりして、もう大丈夫なのかい?」
誰かが入ってきた気配がしたので気がついた彼方は、それが安達だとわかった途端、ベッドの上を後ずさった。