「大事にしなさい」
新たに客が入ってきたので、安達の頭を小さい子にするようにクシャッと撫でて、そう一言言うと稔之は行ってしまった。
「滋さん?」
眉間にしわを寄せている安達に、彼方は声を掛けた。
「・・・あっ? ああ・・・」
何かを考え込むように口唇を噛んでいた安達は、彼方が心配そうに顔を覗き込んだのに気づいて、苦笑いをした。
「大丈夫ですか? 何か顔色が悪いですよ。もう出ましょうか?」
「あ、いや、大丈夫だよ。ちょっと考え事をしてたんだ。ごめんね」
安達は、稔之に指摘されたことが心に引っかかっていた。
(やっと見つけただって?)
彼方とは、少女マンガのような乙女チックな恋愛ゴッコを楽しもうと思っているだけなのに、一体叔父は何を言いたかったのだろうか、安達は、混乱しつつあった。
(大事にしろって・・・何を?)
「・・るさん・・・滋さんってば・・・」
テーブルに置いていた手を握られて,安達は我に返った。
「あっ・・・?」
「本当に大丈夫ですか? 具合が悪いんだったら、お宅まで送って行きますから」
真剣な彼方の顔を見て、安達はフッと微笑った。
「女の子じゃないんだし、送ってもらうなんて恥ずかしいよ。ほんとにゴメン。何でもないんだ」
彼方にギュッと手を握り締められたまま、しばらく見つめ合っていた二人は、頭上で大きな咳払いがしたので驚いた。
「こんなトコで二人だけの世界を作らないで欲しいな。ホラ、白蘭のコが噂してるよ」
稔之が顎をしゃくってさした先には、白蘭のチェックのブレザーの制服に身を包んだ女の子が三人こちらを向いて、何やらヒソヒソやっていた。
「帰ろう。彼方」
既に冷め切ってしまったブラックコーヒーを一息に飲み干すと、安達は彼方を引き摺るように出口に向かった。
「叔父さん、ごちそうさまでした」
安達は代金も支払わず店を飛び出した。
「滋さん、待って。滋さんってば」
しばらくズンズン早足で駅まで歩いて、彼方の息が切れてきた頃、安達はようやく足を止めた。
「滋さんったら、お金も払わずに出て来ちゃったよ。いくら叔父さんだからって、よかったの?」
「うるさいっ!」
いきなり怒鳴られて、彼方は首を竦めた。
おそるおそる見上げた安達は戸惑ったような顔をしていた。
「俺・・・どうかしてるよな。ゴメン。彼方」
(俺?)
いつも自分のことを『僕』と言っている安達がポロッと洩らした『俺』を彼方は聞き逃さなかった。
「ねぇ、滋さんって普段は優等生の演技してる?」
「えっ?」
驚いた表情の安達は、鉄壁の優等生の生徒会長でなく年相応の少年に見えた。
「だって、今自分のこと『俺』って言ったじゃない」
彼方の指摘に安達の目が大きく見開かれた。驚きのあまり声も出ない。
「学校では生徒会長だから『僕』って言ってるんだ? ね、当たりでしょう?」
「そ、それは・・・」
安達はしどろもどろになった。
今までは誰の前でもこんな失敗はしたことがなかったので、うろたえてしまった安達は初めて醜態をさらしていた。
「でもね、僕滋さんは『俺』の方が合ってると思うよ。だって滋さんって凄いハンサムで大人っぽいじゃない? 『僕』は何か子供っぽくて違うって感じなんだよね」
サラッと言った割には、彼方は自分の言ったことに真っ赤になった。
言われた安達の方も真っ赤になってしまって、それに気づいて愕然となった。
(俺は一体何をやってるんだ。叔父さんにちょっとからかわれたくらいで、こんなにうろたえたりして)
安達が気を引き締め直していると、彼方が下から覗き込んでいた。
「ごめんなさい。滋さん。気を悪くしちゃいましたか? 僕ってば勝手な事ばかり言って・・・・」
シュンと萎れた様子の彼方を、コインロッカーの陰に引き摺り込んだ安達は、いきなり口唇を奪った。