【どうして泣いてるの?】
そう言われて気付くとクリストファーの頬は涙で濡れていて、リチャードはそれを、鍵盤の上を優雅に滑る長い指で拭った。
【だって・・・・だって・・・リック・・・・】
優しくされているのに、なぜだか悲しくて後から後から涙が溢れて、クリストファーはしゃべれなくなってしまった。
【まいったな・・・・こんなに無防備に泣かれると、都合よく解釈してしまう・・・】
リチャードは顔をくしゃくしゃにして子どものように泣いているクリストファーの顎を捕えると、涙に濡れた口唇にそっとくちづけた。
【好きだよ・・・クリス・・・】
いきなりのキスに驚いて、涙が止まってしまったクリストファーは、目を大きく見開いたまま、リチャードの端正な顔を見つめていた。
【・・・リッ・・・・ク・・?】
【目を閉じてごらん・・・】
言われるまま素直に目を閉じると、今度はさっきのように触れるだけのキスじゃなく、口内を侵す情熱的なくちづけが降りて来て、クリストファーの膝はガクガク震え出した。
崩れ落ちそうになっているのを支えるように抱き締め、リチャードは腕の中で奮える愛しい恋人の甘い口唇を味わい続けた。
戸惑い怯えて逃げる舌を追いまわし、捕えては吸い上げ、甘噛みしては解放することを繰り返した。
こんな淫らなキスは生まれて初めてで、どうすればいいのかわからず、クリストファーは思わずリチャードのシャツを握り締めて縋りついていた。
どれくらいの時間そうされていたのだろう。クリストファーが気付いたときには二人でベッドに倒れ込んで貪るようにキスをしていた。
【今日はこれくらいにしておこうね。本当は今すぐにでも抱いて俺のモノにしてしまいたいけど、それはクリスがハイスクールを卒業するまで待つから・・・】
そして混乱して目を潤ませてボーっとなっているクリストファーを立ち上がらせると、もう一度触れるだけのキスをした。
【さあ、今日はもうお帰り。また明日ね】
クリストファーは子どもの様にコクンと頷くと、朱い顔をしたままフラフラと帰っていった。
(なんであんなに泣いちゃったんだろ?)
家に戻ったクリストファーはベッドに寝転んで、散々なぶられて腫れぼったくなってしまった口唇を指でなぞった。
(リックに恋人がいるんだって思ったら、すごく悲しくなって・・・でもそれは何でだったんだろ?)
【あーっ! 訳わかんないっ!】
ガバッと起き上がると、ガシガシ頭を掻き毟って、クリストファーはピアノの蓋を開けると、おもむろに弾き始めた。
ショパンの「革命」
まさに革命を起こされた気分だった。男である自分を好きだなんて言うということは、リックはゲイということになる。
そして、キスされてもイヤじゃかった自分も・・・・?
そう思い至って愕然となったとき、激しい泣き声が耳に飛び込んできて、ピアノを弾く手が止まった。
「ピアノがこわれちゃうよー!」
「にいたん、こわいー!」
いつの間に部屋に入り込んでいたのか、幼い双子の弟達が、いつもと違う激しい曲に怯えて泣いていた。
「あぁ・・・驚かせちゃったね・・・ゴメンゴメン・・・」
自宅では英語厳禁を強いられてるので、クリストファーは日本語で謝った。
「煌(きら)、零(れい)、泣かないで・・・・好きなの弾いてあげるから、ね?」
「ほんと? じゃあ、アレ・・・」
母親の少女趣味は相変わらずで、マンガの主人公のように「キラ」と名付けられた上の弟が言った。
クリストファーが好きだった「アレ」は小さな弟達もお気に入りだった。弟達を慰める為に、そして、自分自身の気持ちを落ちつけるタメに、クリストファーはピアノを弾いた。